air icon ただ宇宙そらへ…



(1) (2) (3) (4)
    


   
【ただ宇宙そらへ…】

−−A.D. 2197年
:お題2006−No.40「歪んだ記憶」




= 1 =
 「山本ぉ。客」
自習室でPCに向かってその日のチェックをかけているところへ同期が戸口から声を
かけた。
「あ、さんきゅ」目を上げて、回線を落とし、立ち上がる。
すれ違おうとすると、「女だぞ」
ぽんと肩を叩くようにして、彼は廊下へ出た。

 「女か――なぁ、どんな」
「それがさ、けっこ美人」「ほぉ」
「…てかね。なんかたおやか〜な感じでさ」
「山本が女、なんていつものことだろ」
「なんかイメージ違うぜ?…そういや、楽器なんか持ってたな」「へぇ?」
興味津々、といった風情の同期生たち。
 山本がモテるのは日常茶飯のことで、女が(男もか?)切れたことがない、という
のも周知だ。このご時世の中、けっこうよろしくやってる――だがあの容姿と天才っ
ぷりじゃ仕方ね〜よな、というのも連中のため息でもある。……時々はおこぼれも
あるから認められているというわけだ。
「それにしても、いつもの感じじゃねーぞ。深層のお嬢様って感じ」
「ほぇぇ…」「また守備範囲広いねっ」「だけどなぁ…」
かしましく山本が去ったあと噂を続けるのである。

 相手の肩をぽん、と叩くようにすれ違いに廊下へ出る。
「――今日、あとすぐだからな。時間ねーぞ」 呼びに来たやつが言う。
「あぁ。すぐ戻るさ」そう返して「どこ?」
「玄関脇の…にいるって」
「ありがとよ」 山本は廊下に踏み出しながら首を捻る。
(女?――訪ねてくるような心当たりは)なかった。
最近付き合ってるは、遊びって割り切ってるやつばっかだったし、 訓練学校こんなところ
訪ねてくる気遣いはない。皆、それなりに大人だ――いや、かち合ったらマズいだ
ろうそれは、というくらい複数だったり。あいつとはもう話がついてるはずだしな…と、
最近“別れ”たGFの顔を思い浮かべるが、もう二度と俺に会いたがるとも思えない。
 学生玄関を出て脇の塀の中は少しだが木があって訓練学校生の数少ない憩いの
場だ。地下都市とはいえ植樹されており、もちろんそれは放射能漏れの警報装置の
役割も果たしていた。

 その姿を見た途端、明は一瞬、言葉を失って立ち尽くした。
「祥子…さん――」
振り向き、顔を上げた表情は、なんともいえない心細さを表していて――。
涙が見る間に溢れ、顔中にひろがった。
 「明くん――」
手に持った楽器を足許に置いて駆け寄る華奢な体を、明は受け止め、抱き寄せた。
胸に顔をうずめて泣きじゃくる様子は、ふだん接する女たちとはたちが違った。
――愛しくないわけではない。
寂しく、半分が好奇心だったとはいえ、自分から告白し、付き合うようになり、好き
だった年上の女性ひと――。
 その彼のがっしりした体躯は、わずか2年の間に少年が大人になりつつあるのを
感じさせた。背はすらりと高く、もはや祥子を完全に包み込むようである。
腕の長さは相変わらずだが、筋肉がみっしりとついた上半身は、音楽家然としてい
た少年の姿の面影もない。
ただ、少し困ったような顔をして見下ろす表情は、あの頃のままの、明だった。

 「お、やった」「どれどれ」
「おい、しっ。気づかれるぜ…」
玄関脇のスペースは一つ難点がある。上の教室から丸見えなのだ。
窓が並ぶその一つに鈴なりに、同期生たちがその様子を見下ろしていた。
だがまぁ、いつものこと――とはいえ、訪ねてきた女性のただならぬ様子に、皆、
興味あり。
 「――昔の女、ってとこだな」
そのひとりがわかったようにぬかすのを、
「そうそ。少年の童貞捧げちゃいましたって感じ?」
「それにしても美人すぎねーか。あいつばっかりなんで」
「ひがむなひがむな――元が違ぇよ」……だがこんな気配など、気づいてるに違い
ない、とも思う同期生たちである。
山本明は、その程度には油断のならない男だ。だからといって隠す必要もないだ
ろうが…。



 「ばれちゃったんだね――」
身体を離してじっと顔を見ると、また涙を浮かべながら祥子は明を見上げた。
「もう、見上げないといけないのね。逞しくなったわね――別の人みたい…」
微かな声でそう言うと、困ったように笑った。
そういう処がかわいいと年少ながらも思っていたのだ。
もう未練はなかったが――あの頃も。本当に愛していたかというと、疑問だった。
去っていった人との思い出の、あまりの短さと深さに。深く傷つき、そしてそれを
追うのだという強い決意と、だが其処にとどまるべきかという使命感との板ばさ
みになりながら。
辛くて――そして、目の前にいた美しい人に。俺はやっぱり縋っていたのだろう。
 「どうしたの?」
じっと見つめる目に頬を染めて――あぁ誤解させちまったかな、と明は思う。
キスしたくなって困ったが、そうすればこの女性ひとは別の意味に取るだろう。
俺がまだ、貴女を愛している、と――。
「どうして……どうして、こんな処に」
「こんな処、か…」苦笑するようにして肩を並べながら。
「それでも俺にとっては天国への階段だ――」その表情はわからない。祥子は
明の背を見上げるようにして言った。
「――貴方にはヴァイオリンが。あんなに素晴らしい武器があるのに」
 武器。
武器、か――。

 出口の方に2人連れの女子訓練生が現れた。
明はそれを見ると「おうっ、佐々。どこ行く――これから、あるぞ」
「先輩っ――」
佐々、と呼ばれた学生はこっちを見るとぷい、と顔を逸らせた。
また、女? 顔にそう書いてある。
「大丈夫ですよぉ山本先輩。ちょっと教官室に資材取りにいくんです、私たち」
もう一人が言った。
寮と訓練学校は同じ敷地内にある。
「――先輩こそ、そんなことやってる暇に。すぐ来るんだからっ」
憎まれ口を利いたまま、彼らは急ぎ去っていった。
 「――きれいな、方ね」
祥子はまったく別のことを考えていたらしい。
「きれい、って誰が? あぁ、横田はなかなか美人だな」
背の高い、がっちりした体格のショートカットの女性。まっすぐ楽しそうにこちら
を見た方ではなく。
「佐々、て呼んだわ」祥子が言うのは小柄な、キツい目をした学生のこと。
「――佐々? あいつ、“きれい”か?」
祥子は驚く。しらばっくれているようではない。…ふい、と顔を逸らせて行って
しまったけれど。強い印象を残す人……。明くんとどういう関係かしら。

 だが明は手に嵌めたクロノメータをちらりと見た。
「祥子さん――時間がない」
「時間、て」「今日はこのあと――あるんだ」「なに?」
きょと、として。
緊迫した訓練学校での日々。防衛軍訓練学校に併設されたこの少年宇宙戦
士訓練学校は、一期生はすでに予備役として登録され、実践的力がついた
者から投入されていくという噂があった。
3年生になり、専科が増えてからこっち、時折、実戦さながらの演習がある。
「――説明するこっちゃないけどね。演習があるんだ」
「学校は終わったのでしょう? この時間から?」
「実戦の総合訓練さ。時々夜中にたたき起こされることもある――まぁ実際、
この地下都市でそんなことが起こるようになっちゃお仕舞いだけどな」
配備されれば実際にそういうこともあるだろう――それは、具体的に“戦争”
という生々しい現実を祥子に告げることになるので、明は黙った。
 夜中に? ――実戦訓練? なに?
彼女の頭の中にはその単語がぐるぐる回り始める。
――此処がどういう場所だかはわかっていたはずだった。
何故そんな処に――軍隊なんかに。しかも、戦闘機ですって!? 得てきた情
報をもとに、信じられない思いで此処まで来た。
だが目の前に、見るからに軍人らしく変貌した明の姿を見、その制服と、冷
たい印象を残す建物を目の前に見て――寒気と、そして違和感。
貴方は、こんな処にいるべき人じゃなかったのに…。

 その時、急に警報が鳴った。
(始まったかっ)
「おういっ、山本ぉっ――」
ガラリと上の窓が開いて、声が降ってきた。
「あぁっ、悪い、小袋投げてくれっ」
ややもして小さなズタ袋が上から落とされ、明はそれを拾い上げ、中から幾つ
かの小物を取り出し首にかけたり、腰につけたりする。
 「先輩っ――」
先ほどの2人が走って戻ってきがてら、声をかけた。
「葉子、わたし、いくわよ」背の高い方が、重そうな箱をかつぎ、走り去る。
「佐々っ、1か? 2かっ!?」
「第一級戦闘配備――格納庫先行しますっ」
先ほどの、いかにも女の子な無礼な態度は失せ、真剣な顔で。
「1分で行く。俺の機、回しといてくれっ」返答しつつ、鍵を投げた。
「了解っ――」
ばしゃ、とそれを空中で受け取り、すっと敬礼しぱたぱたと駆け去っていった。
明は、祥子の肩に手を置くと、足元の楽器ケースを取り、持たせて。
「早く門の外へ――」「明、くん……」あとじさりする格好になる。
「気をつけて帰れ――もうこの時間でも、地下都市は安全とはいえない。エア
タクシー拾う方がいいんだが……皆に、よろしくな。それと――できれば、黙っ
ていて欲しい。俺は、ここでやることがあるんだ」
「明、くん――」
 「早く、行けっ」
もはや駆け去っていこうとする山本を、祥子は、追おうとして、諦めた。
ばらばらと校舎のあちこちから学生たちが駆け出し、それぞれの持ち場へ去っ
ていく。警報は益々大きく響き、祥子は怯えた。
――(怖い……こんなのが、現実なの? 明くんがいるべき場所じゃない…)
だが、堂々とそれを仕切っている風に見えた彼は。
 もはや、祥子の知っていた天才ヴァイオリニストの明少年では、なかった。

 
背景 by Little Eden 様

Copyright ©  Neumond,2005-07./Ayano FUJIWARA All rights reserved.


←TALES 2005-2006 index  ↑「菩提樹」  ↓次へ  →三日月MENUへ
inserted by FC2 system