地下都市

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【地下都市−西暦2199年】

−−A.D. 2199年
:お題2005−No.24




(1)

 「おうい、加藤。今日も行くのか?」
同期生が声をかけて、身支度をしていた加藤四郎は「あぁ」と答えた。
「お前も物好きだなぁ。慰問なんて、そんなしょっちゅう行かなくてもさ。俺たち
だってヒマな身じゃないんだから」
仲間の言うのももっともだ。ガミラスの侵攻は、冥王星基地を壊滅に追い込んだ
(らしい)ヤマトの働きで止まったとはいえ、地上から侵食する放射能は徐々に地
下都市をも侵し、もはや猶予はならない状況に日々地球人類は追い込まれていた。
 訓練学校のまだ下級生の身、日々、訪れるかどうかわからない明日のために、
座学とシミュレーションとを繰り返す――それには本当に強い意志が必要だった。
もはや残存する艦隊はなく、実機に乗り空、または宇宙そらを飛べる日が来る
のかどうかはわからない中――。「こんなことやってて、何になるよ」と、自暴自棄
にならないでいられるのは、日々そんな中でも絞り上げようとする教官たちの、強
靭な意志の賜物といえるかもしれなかった。
 だが、食料が配給制になって久しい――十分な栄養と、そして太陽の光の無い
生活は、通常の健康を保つのすら苦労する。
それでも訓練学校の寮には贅沢さえいわなければ日常生活を送るだけであれば
十分な糧食が与えられており、その柵の外に出さえしなければ、飢え死にする心
配も、災害に侵食され病魔に冒される心配もなかった。
……明日の人材は守らなければならない。それは建前ではあったが、実際、勤労
奉仕――昔風に言えば。現場の作業に狩り出されることも増え、それだけ地下都
市の生活も、人々にとっては不安との闘いであったろう。
 特に食料と、放射能漏れや病気で苦しむ家族への薬を求める暴動は、増えはじ
めていた。そんな中、加藤四郎たち飛行科訓練生も2年生に進級しようとしている。

 兄が宇宙戦艦ヤマトの戦闘機隊長である――それは四郎にとって、この暗い年
月の救いであり誇りであり……また、ある意味自分の人生をも規定してしまいかね
ない枷でもあった。
何かといえば、「兄さんが」と言われ、そのよく似た外見もあって、それを逸する
ことはできなかった。たまさか才能に恵まれ、頭脳は(もしかしたら兄より)優秀
だとも期待され、行動も優等生であり続けることに、さほど苦痛を感じない性質
だったからよかったが、さもなければこの“ヤマトがイスカンダルへ向かっていた”
1年間に、彼自身は自分の資質に気づくことなく押しつぶされていたかもしれない。
 だが、その兄こそが、彼を含め――すべての人たちの希望でもあった。

人が心弱くなる時――「あいつらだけ逃げ出しやがって」「イスカンダルなんて
信じられない」そういう言葉はそこかしこから聞こえてきた。それにも常に
「ヤマトは帰ってくる」「必ずガミラスに勝つ」(その頃には敵の名も知れていた)
「兄さんたちは戻ってくる、必ずだ」
そう言って、鉄拳で証明しなければならないこともないではなかったが、それはか
なりの場合、お目こぼしされた。
 だが加藤四郎の穏やかな性質は、自らを荒立てることもなく、ごく平穏に、その
辛い訓練生の日々をこなしていた。
(兄さんと飛べるようになりたい――あの青い空を取り戻し、そして星の海を)
そして、帰ってきたヤマトに乗るのだ……。
それが、それだけが彼の希望だった。


 ある日のこと。
暴動の鎮圧に狩り出され、一般市民を数多く逮捕しなければならなかった。けが
人も多く出、それは自らの責任とはいえ、気が重いことには違いない。
一般人に銃を向け(絶対に撃ってはならないと厳命されたが)、放水車や煙幕など
貴重なエネルギーを消費することも問題だったが、多くは心理的な抵抗感の方が
大きかった。
 そんな中で、「慰問に行かないか」と、牧師の資格も持っているという上級生が
言い出した。放射能漏れにやられていくつかの病院に収容されている人々を、慰め
るために、芝居や話をしたり、病床の慰めになることを、という企画である。
――楽器や歌ができれば、さらにベターだ。といわれた。……なにか自分にも救い
があるような気がして……それに、そういう病院の実際を見ておきたかったことも
ある。加藤四郎は希望してそのグループに加わった。

 最初に行ったのは軍中央病院で、ここは比較的施設も整い、患者数そのものも
多いが、十分な看護の行き届いた患者が多かった。薬は潤沢とはいえなかったが、
様々な治療がうけられる反面、実験的に扱われることも覚悟しなければならない。
その分、最新の治療が試された。また、軍関係者やVIP用の特別入院棟があるの
も、そのうち四郎は知ることになった。――いつの世にも、抜け道を持つ者はいる。
逆に、当然のことだったが身寄りのない者、浮浪者に近かった者や、軍関係者の子
弟も多い。官の病院としては当然のことだろう。
 いくつかの病院を回った。その数はさほど多くは無い。病院自体が統合され、入
院が必要な人たちは数箇所に集められたからだ。エネルギーは足りない……薬も、
十分な人材も。だから、どんなに乏しい資材でも、その中でやりくりするしかなか
ったのだ。
 メガロポリス第二病院――加藤四郎が南部美樹に出会ったのは、そこである。
訓練学校からさほど遠くは無い、軍中央病院よりも近いくらいだった。中堅どころ
の、ただ私設の病院で、ただし技術力は高いという評判があった。――とはいえ、
戦時中だ。それがたいして意味を持つとも思えない。要は、資材のある処に、どれ
だけ強いコネクションを持つか……それが治療に有効だった時代だった。
 放射能に冒され、コスモクリーナが到着するまで保つかどうか不明の重症患者
――そんな部屋も、体力さえあれば乗り切れる子たちもいた。
合併症さえ起こさなければ……ほとんどの者たちが多かれ少なかれ放射能の影
響を受けていたが、既往症の無い者はそれでも希望があった。怖いのは合併症で、
ほとんどの患者がこれで、死ぬ。
ところが中には、何らかの理由で地上からの純粋な放射能漏れにやられた者もお
り、これは劇症のかわり、適切な治癒がほどこされればほぼ100%治った。

「特別室?」加藤四郎は、一般病棟での慰問イベントを終えて休憩室で休んでいる
時、その病院の医者に話しかけられた。
「はい――特別な患者様だけ入られているお部屋があります」
そんなのあるのか? 四郎たちは顔を見合わせた。慰問にはホールに30人ほどの
患者が集まっており、隊員たちの歌や演奏、話に興じた。案外に皆、芸達者で、
四郎は歌が得意だったし、ギターも弾く。本当は踊り……とはいえラップダンス
だが、が得意だが、それを披露するような場ではない、くらいは自覚がある。そう
いえば三郎兄さんは音痴のくせに歌が好きだったな、と思った。
 「皆様のことを聞かれて、ぜひに…といわれているのですが」
特別室だからといって、一緒に出てくればよいのだ。重症患者なの? と訊ねると
「いえ」という答え。だが、「少々、人見知りをされますのと、少し、精神的にも」
参っているのだ、という。何歳くらいの方かと訊ねると、14歳の少女だという。
14歳で特別室か――よほどお嬢様なんだろうな、と思ったが、四郎は腰を上げた。
「お歌やなにかは大丈夫なのだそうです、ただ、お話をされたいと」言った。
 どうする? と若者たちは顔を見合わせる。金持ちの我侭お嬢様の相手はゴメン
こうむりたい。だが、1人閉じ込められて病魔に喘いでいるのなら慰めてやりたい
気持ちもないではなかった。


 
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