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・・・70日すぎ・11歳 羽アイコン


 「お……い、澪? どこだ?」
真田は義娘を探して歩いていた。
 シンと静かな、だかぶぅんぶぅんと底の方から響いてくる独特の艦のエネル
ギーが発する音だけは鳴り止むことなくG区の上層部分に響いている。
(どこ行ったんだ? この中で迷子もないだろうが…)
遊びに行っていてはしゃいでる、とわかっている時はよいのだ。
だが、澪の姿が−−柔らかな金髪のふわりと動く影がないと、不安だった。
 くすりと真田は苦笑する。
(オレがこんな気持ちになるとはな…)
それは、自覚することなく来た心持ちであり、真田の心中は親友・古代守が
目の当たりにしてきたこと、そして長官ら幾らかの人々が感じていることへの
危機感と、日々の追い詰められるような焦り。それに彩られていて、此処が
部下の技官たちや天文台員たちが言うように「いやぁ此処は、雑事や騒音に
煩わされないでゆっくり研究ができていいですねぇ。宇宙のど真ん中だし」
というような悠長な気分とはほど遠い。
 閉ざされた小さな小矮星。そこに秘するように−−実際、息を潜めていると
自分では思っていたし、この中で伸び伸びと自由に時間ときを 過ごさせてやりた
いと思うのが本心だとはいえ、時は迫っているという強迫観念は抜けない。
−−1年後……2年だろうか? それとも、5年、10年だったらどうする?
もちろん、それはその時、考えれば良い。
だが真田の長年の勘のようなものが、“それはあり得ない”と告げていた。

 澪と過ごす時間は、真田にとっては宇宙人と付き合うよりも大変な日々で
あるが、それはこれまで真田が知らずに来た“与える喜び”を十分に味合わ
せてくれる。しかもそれは真田自身だけでなく周りにも影響を与えていく。
真田の奮闘と躾、愛情は周囲にも伝わり、若い訓練生たちに、優しさと毅さ
をも与えるようである。また真田自身が、地球にいる大切な人たちにも支え
てもらっていることをも実感する。

air icon

 澪の“お気に入り”、資材置き場から明かりが漏れていて、真田は微笑む
(とはいえ傍目に見ている人間がいたら、それは笑顔には見えなかった
かもしれなかったが)と、つかつかと歩み入り、
「澪、此処か?」
と言おうとして、シーと加藤四郎に目線と指でそれを止められた。
 出しかけた言葉を呑みこむ。加藤がお姫様を守る騎士ナイトのように座っていた。
斜めに小さな明かりが差す部屋で、澪がすやすやと寝息を立てている。
藁のベッドとクッションに頭を持たせかけ、タオルケットがその体の上にかけ
てあり、横に加藤がそれを守るように座っていたのだ。
加藤は彼女に触れないように注意しながら、そっとテキストを膝の上に広げ
ている。
−−試験勉強、かな。
真田は思う。

 ごそり、と動く気配がして、金髪がはらり、と額にかかった。
「ん〜? お、義父さま?」
もそもそと動いて澪が眠そうな声を出し、「あれ? 私」と言った。
 「シミュレーションの基礎訓練、一緒にやってたんです。終わったあと、シャ
ワー浴びてたら俺を待ってる間に寝ちゃって…」と加藤は真田に言った。
思いっきり動いたから疲れたんだな。そう言って真田は
「加藤、ついててくれてありがとうな」と言い、そのまま寝ぼけ眼の澪をタオル
ケットごと抱え上げた。
 「あれ? お義父さま……」眠そうだが気持ちよさげに大柄な胸に頭を凭せ
かけるのを見て、加藤もいいえ、と言って立ち上がる。
「何か、御用だったんじゃありませんか?」とも。
真田は澪を抱え上げたまま、ふと思いついたように、「お前も来るか?」
と言った。

flower item

 通路を歩いた突き当たりに、小さな部屋がある。
澪の“お勉強部屋”だったりプレイルームにもなる此処は、少し真田たちのいる
メインルームからは離れていたが、居心地の良い小さな空間だ。
 加藤四郎が見ると、そこには小ぶりの、だが見た目は高級そうな、木に装飾
のほどこされているピアノがあった。
「デスクタイプだよ。……あんまり大きいものは送れないからな」
真田の腕の中から顔を上げて、目をこすっていた澪が、わぁ、という感じで顔を
上げ、とん、と義父の腕の中から抜け出した。
「ピアノ……ピアノね? お義父さまが作ってくださったの?」
あぁ、と頷く真田も心なしか嬉しそうで。加藤は「澪ちゃん。弾いてみなよ」
と言い、真田は近づいて蓋を開けた。

 弾いてみろと言われても、いきなり弾けるわけはないのである。
「お義父さま、何か」
真田を見上げるのに、あ、いやその、な。と口がにごる。何でも出来てしまう、
といっても限度があり、ヴァイオリンは弾けてもピアノは、という真田である。
「指導テキストは完璧だぞ? あとでロボにも憶えさせておくからな。すぐに
弾けるようになるさ」……そういう問題でもないんだけど、と加藤は思う。

 ちょっと良いですか? と言って彼は近づくと、少し横長のイスに座って、
「澪ちゃん、おいで」と言った。2人で並んでギリギリ座れるくらいの横幅に。
彼は指1本でぽんぽん、と音を叩くと、「ほら、音が出るよ。弾いてごらん」と
言う。ピアノはヴァイオリンと違って、子どもには取り付きやすい。
澪はかわいらしいイスに腰掛けると、ぽんぽん、と指で鍵盤を叩いてみた。
「わぁ…素敵な音」
確かに音はよかった。こんなものまで手作りしてしまうのだから、此処の工場
はいったいどうなっているんだ? と思わないでもない加藤である。

 加藤四郎だってピアノが弾けるわけではない。青少年のキホンともいえるギ
ターは、実家にいる時にけっこう夢中になった時期があり、今でもまだコード
ネームくらいは憶えている。「ん、ん〜と…」ぽんぽんと音遊びだけでもなんだ
と思ったのか、彼はうろ憶えのコードを頭に描くと、ジャーン、ぽーん、と
いくつかの和音を鳴らした。

 ♪春は名のみの 風の寒さや
  谷のうぐいす 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず


 小さな声で口ずさむのに、真田がお? と思い、澪はへぇ? と加藤の顔を
見上げた。彼は少し顔を赤らめながらも穏やかな表情で歌い、ね? と澪を
見る。
「ほぉ、お前、歌なんか歌えたんだな」という真田に
「歌えるうちに入りませんよ。ただの童謡です」
「童謡? 童謡って…」
 そういえば彼女リエが呉れた資料の中に、絵本と一緒にあったかもしれない。
 子どもに聴かせるのはね、とても良いの。情緒を育てるのにもね。テープじゃ
ダメよ。オンチでもいいからね、歌って聞かせなさい。
……すっかり忘れていた。
 本当ならもっと物心つかないうちの、幼児のあいだに、と言われたな。

 その間にも、どんどんいろんな曲を加藤は歌っていた。
そうして。
 「ほら、これならすぐ歌えるでしょ」

 ♪ちょうちょ、ちょうちょ。菜の葉に止まれ…

 澪は大喜びで、ちょうちょ、ちょうちょ。と声を出した。
 真田は微笑ましい思いでそれを聴いた。が……一つ問題が。
(音痴、かも−−)
妙な処、守に似ているな、と思う真田である。
 スターシアは星の女神だったから歌くらい歌えたのだろう。が、古代は酔う
と陽気になってけっこう歌ったりするヤツである。しかし決定的に調子っぱずれ
だったのだ。……澪。女の子がそれじゃぁどうかと思うぞ。
 加藤の“教育”に期待しよう……。

 ピアノで和音を叩きながら、「ちょうちょ、ちょうちょ」と歌う姿は、本当に
楽しそうである。楽器があるって良いもんだな、真田はそう思うのだ。




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