airアイコン 時空のこちら側−帰還

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【時空のこちら側− 帰還・1】

−−A.D. 2230年
お題 No.95「傷跡」

(1)

 カタン、と入り口の方で微かな音がした。
 傷ついて横たわり、薬と治療で意識は浮遊していてはいても、その目覚めた精
神は、どんな微かな気配さえも逃そうとはしない。
意識のどこかが目覚め、それに敏感になり、たとえ視力は奪われ聴覚も完全に回
復したとはいえなくとも、それだけで相手のおおよそを察知することができた。
それ故、あの厳しい環境の中で、これまで生き延びてきたのだから。
 だが男が意識から先に目覚めた時、ふっと柔らかなシーツと光の感触を得て、
さらにそのあとの記憶が甦る。
“あぁここは、地球だ――今俺は、戦う必要の無い時間ときの中にいる…”
 ゆっくりと、目をあけた。
 近づいてくる人影に、殺気はない――部屋の空気が、少し、揺れた。

 完全な防壁に守られた科学局特別室の中。自然を模した光と、最新の医療技術
に囲まれ、隔離され奥まった一室に、今、山本明――と以前呼ばれていた男は
横たわっていた。
 人影は静かに近づき、ベッドサイドの椅子にかたん、と静かに座った。
 ゆっくりと顔を回し、まだもやがかかったような視野を向ける――その瞳
に写ったのは。
(よう、こ……?)
「だいぶ……草臥れた格好だな」
静かに、震える声がした。やわらかく頬に手が伸びる。その手を、ゆっくりとつ
かんだ。
 その手で支えるようにゆっくりと起き上がると、抱き込むように腕が覆った。
「山本――!」
微かなハスキーボイスが、耳に届いて、あとはもう、言葉にならなかった。
 「葉子、なんだな……お前、佐々、葉子だな」
ぎゅ、と首を抱きしめられて、「あ、すまん――まだ……」とあわてて。
まだ完全ではなかったんだ、と思い出したような訪問者。
そのままじっと、見つめられた。
「あんまり、見るな。……見られん顔だろう」
 少し照れた。
 至近距離で見られる顔ではない――その造形は失われ、片目は調整中の
義眼で、まだかすかに薄いバイザーが斜めに覆っている。骨には異常がなかった
ため、多少の手を加えた輪郭こそ取り戻していたが、頬はこけ、元の状態とは
いいがたく……だが。
「お前の目は――変わらない」――残された、右目。
じっと見つめる葉子の目がみるみる薄い膜で覆われて、いまにも、そこから何か
がこぼれそうだった。
 「おい、泣くなよ――」
「ばか……汗かいただけだ」
「ウソをつけ――そういや、泣き虫だったな、お前」
相変わらず口の減らない男だ、そう言って泣き笑いする相手は、別れた時より
30年分、若さは失われているとはいえ、その表情や顔立ちはまぎれもなく、懐
かしい親友の顔。
髪、切ったんだな、と言われて。うん、下の娘産んだ時にね、と答えた。
目から溢れたものを相手の指がすくって、そのまま涙はまた溢れそうなまま、
止まった。
 「お前、本当に山本明、なんだな……」
しみじみとそう言えば、あぁ、と答える。
まだ曖昧な記憶の中でも、この女のことは懐かしく覚えていた――恋人、
ではなかったはずだ。俺には愛している相手がいた。だが。何故こんなに懐かし
く、愛おしいのだろう、あの時も、すぐに名が浮かび顔と思い出がよぎった
ように。

――「確かめてもいいか」
突然、真面目な顔をして、その女が言う。
もう、散々検査された。最初は抵抗があったものの、次第に諦めが先に立つ。
記憶のない、いや微かな懐かしさと信頼だけが残る相手に、もはや命は預けた
身だと。
「どうぞ、いかようにでも――あ、だがおい。ハダカに剥くとかいうのはや
めてくれよ」
両手を上げて、冗談を返すと、当たり前だ。そう言ってまた顔が近づいて…。
 キスされた。
しかも――ゆっくりと。それこそ、確かめるように。
 ぶ。
な、なにすんだよ――。
唇を離し、クスりと笑って。「味でわかるもんでもないんだな」と言う。
「お前ぇ、ダンナいるんだろ、いいかげんにしろ」怒る気力もない。「それに、
女からするもんじゃないぞ」と言うと
「あらそれ偏見」と笑っている。
 お前、確かに山本明だな。
生きて、いたんだな――。
また急に涙声になって、首にかじりつかれた。
お、おい……ここ、監視カメラついてんだぞ、真田さんチームがいつも……。
 あぁそうだったな。でも、誰も怒らない。私とお前のことは誰でも知ってるか
ら。――四郎には、内緒だけどね。

 本当に。
生きてた――どれだけ私が悲しんだか。どれだけ、あのあと……。
言葉にならなかった。


「大輔、お前の息子なんだな。――三郎とそっくりじゃないか」
「うん。よく似た兄弟でね、けっこうなブラコンよ、うちの連れ合いも」
「会うのが楽しみだな――ヤマトの3代目戦闘機隊長だったって?」
「うん……加藤のあと。一人置いて、最後の隊長だった……若い頃は兄貴そっく
りだったわ。今はそうでもないけどね、最初会った時は皆、生き返ったかと驚い
たくらい」
 山本――。
ん。
生きていてくれて、ありがとう。
あぁ……俺はまだ、此処がどこだかよくわからなくてな。
そうなんだってね――辛い時間だったんだろうね。
30年、か。
長いわ…十分に。でも、帰ってきてくれた。それだけで、嬉しい。
 またじっと見つめて。
お前の息子と古代の息子が見つけてくれたのも、何かの運命なんだろうな――
そうでなければ俺は、地球へは戻ってこなかっただろうから。
そうね…そして星の果てで生涯を終えたかもしれない。
お前たちと会えて、良かったよ。
これからイヤってほど会えるわよ。また来るし――元気になって、時間を取り戻
して欲しいから。
あぁ……取り戻せるものでもなかろうが、ゆっくり、考える。

 「妙なもんだな」
なにが? と佐々は言う。
「俺が、キスしたくなった」
ふっと笑って――「あんたのなんて挨拶代わりだったから、今更驚かないわ」と、
佐々は言う。
ゆっくりと、頬に手が伸びて、接吻キスしてきた。
生きてると――また此処に戻ってきたのだと。そうやって思い出してくれればい
い、戻ってきてくれた、慕わしいひと。兄のようで、命分け合える友で、仲間で、
親友。誰よりも傍に居た、相棒。
――でもね。今日だけだから、と佐々は言う。
あぁ、わかってるさ。再会のご褒美だって。
ふふ、相変わらずね、と微笑んで。

 また来るわ。――これでも忙しい身だから、と佐々は席を立った。
「あぁそうだってな――えらく出世したじゃないか」
「人手不足はいつものことでしょ。歴代ヤマトの生き残りなんて100人もいない
んだから」
また軽く頭を抱いて、握手をして。
――ゆっくり治してね。時間はたっぷりある。そう言うと。
あぁ。精進するよ……またお前たちと飛び回りたいからな。
その元気があれば大丈夫ね、時々大輔寄越すから。
ありがとう、と手を振る姿に、懐かしい、20代の姿が重なった。


 廊下に出た途端、佐々は誰かにぶつかりそうになって、止められた。
「あ、大輔」
「よ、母さん」と壁に寄りかかって立っている。
「お邪魔そうだったからさ――待ってたの」とニヤりとして。
なによ、とぷん、とする母親。まったく子どもっぽいんだから、と息子は思う。
 「ま、父さんには黙っててやるからさ、大概にしとけよ」
なに生意気言ってんのよ、と頭を拳骨で殴る真似をするが、「恩に着るわ」と
さすがにあれは四郎に言いつけられたらマズいだろう、と思ったので素直にそう
言った。−−あ、真田さんにも口止めしとかなきゃ、あは。
――あんまり、長居すんじゃないわよ。先帰ってるからね、と母は言い、
「あんた、今日帰ってくんだっけ?」と尋ねる。
あぁ、今日は家に帰るよ、父さんも戻るはずだから、と親子の挨拶をして、別れ
た。

 そのセクションを後にしながら、佐々はその足で本部中央棟へ向かう――別
棟の別セクションではあるが、距離にして300mもない。本部に立ち寄ったつい
で、といえばいえるのではある。
 
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