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CHAPTER-14 (068) (051) (024) (034) (067) (093)



34. 【母から娘へ】2



 新学期が始まった。
――まだ学校に慣れない――というよりも地球そのものに慣れない娘は、それでも毎日、
楽しそうに学校へ行っている。
 最初、少しぎくしゃくした感じもしたけれども、そこは親子だ。
最初の数日、“授業参観”しようとしたが、さすがに「もうっ。物凄く過保護みたいじゃな
いっ、やめてよ」と言って断られた。だが、まんざらでもなかったらしく、嬉しそうに2日間
は、午前中、教室の後ろに座っている自分の方をチラチラと見て、授業を受けていた。
 春入学にした方が目立たなかったのじゃないか――そうも思ったが、夏の時期、自分が
わりあい自由の利く時期に、地球に慣れさせるため。なるべくつききりで居てやりたいか
ら。そう言って秋学期転入のクラスにしたのだ。
――今のところ、その私立学校は、飛鳥に合ってもいるようだ。
同じ敷地に並ぶ男子部――そこに通う古代の次男坊・聖樹せいじゅと、隣――というほどにも近く
の公立校に通う兄の大輔。彼らもまた見守っていてくれる――でき得る限り。

 「飛鳥あすか――宿題、終ったか?」
コンコン、と下から階段を上がっていくと、「はぁい」という声がした。
子どもらの部屋は、親2人の方針もあって、完全な密閉ルームにはなっていない。階段を
上がると腰の高さくらいまでの仕切り板の両側に2人のスペース、そして吹き抜けの明り
取りが間にあって、リビングまで吹き抜けの空間になる。声をかければ聞こえるし、階下
と階上にも隔絶感はない――プライヴァシーもあまり無いが、それはもう少し大きくなっ
てから、とこれは大家族でわいわいと育った加藤四郎の方針。「いいんだよ、家族は皆、
一緒で。プライヴァシーが大切なのは大人だけ。寝室と客用ルームには立ち入り禁止だか
らね」
大輔と飛鳥は厳しく父親から言い渡されており、それが加藤家におけるルールでもあった。
 階段の上にひょこ、と顔を出し、とんとん、と上がってくる。
「――今日、何の日だか知ってるか? 飛鳥」
「ん?」10歳の娘。
「なんだっけ」と見上げる様は、親の目からみても美人になるだろな、と思うほどかわい
い。――自分にはあまり似てない気がする葉子である。目許などは四郎にそっくりで、
綺麗な目をしている。
 「十五夜、だよ。外へ出て見ない? 月が綺麗だ――」
「月?」
 普通の人たちが月を語るのと、この母娘とでは同じに考えてはいけないだろう。

 月は――飛鳥の生まれた故郷であり、この地球こそがむしろ異邦。飛鳥が生まれてから
2年。一家は月で暮らした。そののち、地上へ戻った母と兄・大輔を送り出し、父と2人、
幼い頃からずっと月で暮らしてきたのである――“かぐや姫”=特殊成育児童。それが人
生の最初に飛鳥に与えられた名前だった。
 「そうよ――月にいたら絶対に見られないもの。ほんっとうに綺麗よ?」
悪戯っぽい表情をして母親は、自分を見ている。
バカバカしい、と子どもながらに思わないではなかったのだが、母さんがあまりに楽しそ
うな顔をして、「お団子もあるんだ。食べようね」など言うものだから、つい。
――別に、お団子に釣られたわけじゃ。ないんだからっ。
顔が少し赤くなって、内心で言い訳をしながら。
「冷えるといけないからね、カーディガン羽織って」。タンスから上着を取り出して着せて
くれた。ほっこりと母親の体温が背中に感じられて、飛鳥は少し、戸惑う。
――いつも、弥生さんが居てくれたけど。
なんか、ヘンなの。こんなの、ちょっと、ヘン。
それでも、なんだかちょっと楽しくなったというのは、内緒だ。



 「ほぉら、凄いだろ?」
官舎の扉を開けたとたん、空に月が丸ぁるく浮かび、その月光の強さに驚いた。
街灯の光や、道端に埋められた間接照明より、ずっと明るくて、鮮やかで――なんという
の? 不思議な色。不思議な町になってしまったみたいだった。
「散歩に、行こうね――」
葉子は飛鳥の手を取ると、ゆっくり官舎群の外へと歩きだした。
あまりまだ行ったことのない方へ向かう。
――どこへ行くの?
――そんなに遠くじゃないさ。ちょっと歩くかな。
 街の外れにある官舎群の中――士官官舎群から、一般官舎のマンション群を横に見な
がら、少し上り坂をだらだらと上った。
いくらかの家からも窓が開いて空を眺めていたり、道にもポツポツと散歩する人がいて。
「――月を愛でる、という日本民族の風習は、さほど廃れてないんだな――」
そう楽しそうに母が言うのを、飛鳥は頭の上で聞いて、ふうん、と思った。
 「日本人、て? そんなことしたの?」
「あぁ。――大和民族はね、四季を愛し、自然を生活に取り入れてそれを愛でた。たく
さんの詩歌や俳句が生まれただろう? 平安の昔――つまり、今から千年近く昔だけど。
まだ街灯も列車も車も、宇宙船も何もない頃から、そうやって、地球や、自然と仲良くし
てきたんだよ」「――ふうん」
そんなの知ってるわ、と飛鳥は思った。
 だけど。
教科書やデータバンクから見て先生たちに教えてもらうのと、こうやって歩きながらしみ
じみと話されるのと、どう違うんだろう? 母さんが言うのに連れて、昔の人たちが――
教科書に出てきたような格好をした日本の中世の人たちが、月を見ながら集まっていると
ころなんかが、ごく自然に頭に浮かんだ。
 空気が澄んでいる――気持ちがいいわ。
 ふっと、同じ空気を、昔の人たちも吸っていたんだ、と思うと、びっくりして。立ち止
まってしまった。
「ん? どうした? 飛鳥――」「なんか、怖い」「どうした」
母は立ち止まって、しゃがむと、飛鳥をくるんと腕の中に包みこんだ。
「何か、思いついたの?」
「――昔……千年もの昔の人が、同じ、こんな空気を吸って、話していたのか、と思うと」
「怖くなったの?」
不思議なことを言う子だと思ったが、佐々は思わず微笑むときゅ、と娘を抱きこんだ。
「大丈夫だよ? 昔の人だって、こうやって、友だちや、親子や、恋人と歩いたり、家に
訪ねあったりして暮らしてたんだ。何も、不思議なことじゃないさ」
にっこりと笑う笑顔と、低くて柔らかい声が、なんとなく胸に染みた。

 小さな公園が、少し高台にあって、空き地にベンチがいくらか並んでいた。
「先客が、いるわね――」
うるさくないといいけど。
離れた向こうの方に、カップルらしき若者とか、老年のご夫婦なんかがいる。男同士、座
って――お酒飲んでるのかな、やだな。
 「ここにしよ?」
ラッキーなことに、空き地の外れの、少し眺望が開けている場所が空いていた。
なぜかというと、街灯が近くて、空があまり見えにくいから――かもしれなかった。
だけど、月はそんなものに負けないくらい綺麗で、鮮やかだった。

 座って見上げると、本当に綺麗に見えた。
月の兎、といわれる模様が見えたし、なんて綺麗なんだろう――こんな風に、地球から
見えるなんて、知らなかった。
月の上は暗くて――そうね。月から見る地球は蒼くて――美しかったわ。



 「飛鳥、あっちにも見えるだろ、青白い、大きな光」
「満月でも、三日月ね――」
背中の方を振り返り仰いで、飛鳥も言った。
「「アクエリアス・ルナ――」」
2人でハモって、くすくす、と笑う。
 ラグランジュ点を抑える惑星の重力要衝――そんな知識は同年代の子らよりずっと、
詳しいわ、私。だって――関係者だもの。
うふふ、とちょっと優越感を感じた飛鳥である。

   「お団子、食べよう」母が突然、言って、持ってきた袋からお団子と、コップを出す。
「あ〜っ。お酒、じゃないの?」
ん? と母は悪戯っぽく笑って、「そりゃそうだ。月見ときたら月見酒だよ?」
「ねぇ、母さん――私も」
「だめだよ、そりゃ。――飛鳥にはちゃんと、ジュース持ってきたから」「つまんないのぉ」
「こらっ」「母さん1人、ずるぅい」
「いいんだ。私は大人なんだから」
……ぶちぶちといいながら、それでも「ちょっぴりだけだぞ」と小さなお猪口に一口。
日本酒、うんまぁ〜い。ニッコリ笑う飛鳥。
そうして、寄り添うようにして月を見上げて。
 ほら。
母の指差す先に、自然の? 自生のようにみえる――ススキが揺れていた。
うっそ――と飛鳥は思ったが、へぇ。初めて見る、本物だぁ。
 やっと根付いたな……この辺りは雑草といわれる草が沢山生えるように、意識して作ら
れた公園なんだそうだよ? だからあまり綺麗じゃないし。あまり人も来ない、と母は笑
う。
――そうして、ススキと月を並べて見られるように体の角度を調整して。
それで、わかった。
ススキと、月。って――似合うわ。本当に。
 にっこり笑って母を見上げると、母も同じことを考えているのがわかった。






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