【君を見つめる10の御題】より

      window icon 君は海の味を知らない。


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「君は海の味を知らない。」

 味って何のこと? 海に味があるの?
 莫迦だなぁ。塩辛いに決まってるじゃないか−−。


 潮風が肌を弄り、髪をひらめかせた。
その頬をすぎた風はそのまま少し低い場所に陣取っている男の髪も撫で、潮の香りに
まじって微かな香水の匂いも感じさせる。
 ふっと微笑むと彼はすっと立ち上がって、彼女が立っている岩の上に並んだ。
とんと飛び乗る所作は機敏で、躍動感に溢れている。
そのまま岩の上にバランスを取って、横に立つ女を眺めた。
「何、見てるんだ?」
 遠くを眺めていたような視線がふいと横をむいて、ふんわりと微笑む。
まるで大切なものを見つけたとでもいうように。
「うみ」
「は?」
「海、見てたのよ……当たり前じゃない」
言いようは生意気だが、声は柔らかく優しい。男の方はふいと笑顔を崩すと、「また、
お前は」と言って、くしゃ、と女の髪をかいた。
 「ぐしゃぐしゃになるじゃない。――兄さんたら」
「どうせ、風でぐしゃぐしゃだろ? 大して違わないさ」
「ん、もう。…」
そうは言っても妹の方はまた笑うと、海の観察に戻った。

 「いいだろ。」突然に兄は言う。
「なにが?」妹はまだ風に全身を晒し、波頭を眺めたまま答える。
「……こうやって、全身で海を感じてることさ」と彼は手を拡げて上に伸ばし、背中
も伸ばしてううん、と伸びをした。「――地球が生きてるって感じだな」
「そうね…」くすりと笑う。
 「風が、しょっぱいわ」
彼女はそう言って、また笑った。
「そうだな…海の、味ってのかな」我ながら間抜けたことを言っていると思う。
 妹は黙って空を仰いだ。
「兄さんたちが、守ってきた――惑星ほし
「父さんや母さんたちが……だ」
「そうね」
「それに、君の――あの人も、だ」
「そう、ね」

 初めて海を見た――。

 加藤飛鳥かとう あすかは、そう思った。そして、満足して隣の兄を見る。
「兄さん、行こうか……」「もういいのか?」
こくりと彼女は頷いた。
「また、いつでも来れるわ」
「そうだな――だけど、俺とはこれきりかもしれんぞ?」
明るい笑みを見せながらも兄がそう言うと、妹はぷう、とその美しい表情かおを膨らま
せる。 「冗談でもそんなこと言っちゃダメでしょ? なによ、たかが30万光年くらい。
星間戦争が何? そんなこと言ってると一生、あの人に勝てないわよ?」
「……そりゃぁ、ないだろ?」
今度は兄が拗ねた顔になる。
「そうよ」
彼女は笑い、彼は参ったな、と頭をかいた。

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 「ねぇ、海ってなぁに?」
幼い飛鳥あすかが、月に“里帰り”した兄をつかまえて、そう言った。
あれは彼女が4歳か5歳だっただろうか。
「……地球にあって――ううん。地球とか水の多い惑星ほしにはあって、月に無いものだよ」
小学校高学年の生意気盛り。兄・加藤大輔は、ぽちゃぽちゃと愛くるしく太って足許に
まつわりつく妹を邪険に可愛がりながらそう言った。
うん、もう。うるさいな。――宿題やんなきゃいけないんだから。あとで、遊んであげるか
らね。
 地球の小学校に通う兄は、本部に勤務する母と地球の官舎暮らし。妹は生まれてこ
のかた、ずっと月基地総司令の父と此処――月にいる。地球の土を踏んだことはまだ、
無い。
――特殊成育児童……通称、“かぐや姫”と呼ばれている。

 地球に憧れた憶えはなかったはずだ。
 飛鳥にはそういう自覚はない。
だけど。保育園のイメージルームで本を読んでいたときに。ホログラフに浮かんだ海を
見て、「あれはなぁに? いったいなぁに?」と騒いだのだそうだ。
 限り無く深いブルー。
 淡いブルー。
光、透けて、息詰まる拡がり。泡……上へ上へ、立ち上る水と空気。
 疑似体験のCGだったのだろう。

 父は、いつものように飛鳥を膝の上に抱き上げて言った。
「――君は、海を知らない。」

 頬ずりをして、髭剃りあとがすれたのか「いたいよぅ」とむずがる娘は、それでも
大好きな父の腕の中できゃらきゃらと笑っていた。
「お兄ちゃん、海。海よ、海に行きたい!」
ねぇ? と機嫌よく見上げられて、
「あぁそうだね。僕が、海に連れて行ってあげる」
そう言ったのは――8歳。あの小矮星ほしへ旅つ前のことだった。

 地球へ共に住んだ時期がどのくらいあったのだろう。2年ほどは4人で暮らしただ
ろうか。月に4年。あとはバラバラに……2人ずつ一緒に住んだり、誰かが地球に
いて誰かが宇宙にいて……妙な家族だと思う。
 だがそれだけにつながりは深かった。
 宇宙ほしの海のどこかで。――逞しく、日々生きているのだろう。母も、妹も。
逞しく美しい我が家の女性たちは。そして、父も。
 何度か家族で海へ来たはずだった。……その記憶もあるけれど。
それはこうやって海を眺めるために来たわけじゃないのだ。
飛鳥だって、1人で来たことや……おそらく、ほかの誰かと来たこともあるのだろう。
だけれど。

 「海へ、行きたいのよ――地球の海が。太古の海が見たい…」
そう言った時の“海”は特別な意味があったのだろう。
近く、夫になる彼とではなく、「一緒に連れて行くのは俺の権利だな」そう主張して、
母に笑われた大輔だったが。
そうやって、まるでデートのように、この日、海へやってきた。

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 「ねぇ、兄さんとデートするのって、何年ぶり?」
「さぁな……」
何年ぶりだったろう?
大人になって……いや。地球ではなかったかもしれなかった。
(古代)聖樹と抜け出した飛鳥を連れ戻しに行ったことは何度かあった。そんな時に
海へ来たことも確かあったけれども。
こうして、2人でゆっくりとドライブしてきたなんていうのは。
 くすりと妹が笑う。
兄の眼で見ても――贔屓目では無しに、美しく成長した妹だった。
“森ユキの再来”――そう呼ばれている。“宇宙そら翔ける女神”とも。
憧れ、憧れた者たちも多かったかもしれない、だが彼女は、自分が愛することを選んで。

 「あ!」
小さく飛鳥が口の中で叫んだ。
はっと気づくと、辺りは一瞬のうちに色が変化していた。
青から紫へ、そしてオレンジ、ピンクへと。
――夕陽だった。
 「……」
大輔も初めて見たのだ。地球の、海岸の夕陽というものを――。
顔を見合わせ、急に強くなった風から妹を避けるように、腕を引き寄せる。
並んで海をまだ眺めながら、刻一刻と移り変わる光を眺めた。

 生命の源といわれる、海。
俺はまた宇宙へ戻り、三度みたび銀河系中央への長い旅へ発つ。
そして妹は――愛する人を得て、彼と共に。新しい旅へ発つのだろう。
 われわれはこの母なる地球ほしに守られて。
そしていつも此処へ帰る――そして、此処を守るのだろう。

 西暦2232年――宇宙はそこここで震撼していたが、地球の蒼い空は、そして海は、
穏やかに凪いでいた。

Fin


earth clip

綾乃
Count008−−08 July, 2008


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★TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』をベースにした二次創作(同人)です。
ただし、オリジナル・キャラクタによるヤマト次世代編ですのでご了承ください。
登場する2人は、加藤四郎&佐々葉子(Original charator)の息子と娘です。
★この御題は、Abandon様からお借りしています。
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