After The Seconds'-War:Sachika



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−−A.D.2201年、地球。


【宙駆ける魚・番外篇】


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その革の手帖には、わずかな言葉しか記されていなかった。
寡黙な持ち主の、性質を現すかのように。
――そのふねと仲間に、想い託して――


= 1 =



 「佐知香さちか、お客様よ!」


 階下のインターフォンから母の声がして、私はどきりとした胸のうちを沈めなければならなかった。 決心していたはずなのに、今さらながらおじけづいてしまう自分がいる。だが、今、会って聞いておかなければ、 それはどのみち後悔するに違いない――。
「はい……ただいま。開けます。上がっていただいてください」
 佐知香はポットのお湯を適温に温めると、棚から紅茶のセットを用意した。


 「失礼します」
 ガチャリと旧式の戸を開けて、佐知香の部屋に現れた人は、背丈こそ佐知香とあまり変わらなかったが、 きびきびとした精悍な動作と、スラリとした、しかし緊張感のある体躯の印象的な女性だった。 強いまなざし、大きな傷はあるが白く美しい顔立ち。戦場から帰ってきたひと。
 「ようこそおいでいただきました。お忙しいところ……感謝します」
なかなか家を空けられない佐知香のために、短い休暇を使って来てもらった。


 戦場を翔ける男の人はこんな人に憧れるのだろうか……。美人というのではないが、 鼻梁の通った顔、クールな印象を与えるひと。平凡な自分とはかけ離れた存在。
 目の前の紅茶が温かい湯気を立てていた。
「おいしい……」
にっこりと笑うと印象が変わった。あどけない、とさえいえる表情を見せる。
 死地を渡ってきたせいか、ずいぶん大人びた印象だが、歳は佐知香と二つか、 せいぜい三つくらいしか変わらないはずだ。
 「アールグレイですね、私、好き」
ほっこりと温かい紅茶は心まで温めてくれるような気がして、佐知香もつられて微笑んだ。


 佐知香は自分でハーブティのラベンダーを淹れていた。
「匂いが気にならないかしら」と言うと「いい香り……沈静の効果があるといいますものね」
とまた微笑む。頬の傷がそのたび引きつるのが痛々しいようにも見えるが、それはずいぶん古い傷のようだった。
 目線がそこに注がれるのを感じたのだろう。
「あぁ、この傷? ふふ、若い頃やっちゃってね。古いものだから、もう痛くないのよ。 今度の戦いのものじゃないわ」
 顔の傷をこんな風に笑って話せる女性なんているのかしら。佐知香は圧倒されるような気がして、 しかしこの女性の心の優しさのようなものは、黙って座っているだけで伝わってくるようだった。


 女性の名は、佐々葉子地球防衛軍太陽系周辺地域護衛艦隊旗艦・ 宇宙戦艦ヤマトに所属する軍人である。
 白色彗星との戦いで九死に一生を得た。瀕死の地球に戻り、ヤマトの勤務が解除になって1か月 ――生き残ったわずか18名の英雄の一人であった。
 「貴女は加藤……隊長の血縁のようなものだと聞いて。お届けしたいと思って」
佐々はそう言うと、小さなデイバッグの中からボロボロになった手帳を取り出した。
「三郎さんの! ……」
うなずく。「貴女のことが書いてある。最初の方に、名前と。そして通信で何をしゃべったか、とか」
そう言うと彼女は目を伏せた。
 「・・・」
佐知香は震える手で、その革製の小さな手帳を取った。
「……最初の方に、“山吹の花――”と書かれているのは、貴女のことでしょう?」
三郎がそのように自分を言っていたとは知らなかったけれども、佐知香はうなずいた。


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 加藤三郎山吹佐知香は幼馴染であり、彼女にとって彼は兄であり憧れの人だった。 勉強ができて優しくて、カッコよくて。何でも人に勝ちを譲ったことがないくせに偉ぶったところがなく、 誰にでも好かれる三郎が自慢だった。幼い恋とはいえ、初恋の人であり、 幼心に将来は結婚するんだ、と思っていた。
 いつの頃からか子どもの夢は終わり、現実が迫ってきても、二人は相変わらず仲良く、 互いに行き来していたといえるだろう。だが、感情の方はどうだったのか。 三郎はいつも上を、前を見ている 男性ひとだったし、その先に自分の姿があるのか。 三つ年下で、どちらかというと内向的な少女だった佐知香は不安だった。
 何の約束も、なかった。宇宙戦士訓練学校へ入学した三郎は、どんどん遠い存在になっていったし、 たまの休暇で帰ってきても、その目は遥か遠くを見ているように思えたから。 そんなに遠くまで、私はついてはいけない――そう思わせられた。


 遊星爆弾が落ち始め、宇宙戦艦ヤマトが最後の希望として建造された時、 その戦闘機隊長という大任を任された。そんな三郎は佐知香たち一家の誇りでもあったが、 果たして生きて帰れるかどうかもわからない旅だ。選んだ職業の宿命ともいえたが、その辛さに、 佐知香は耐えることはできなかった。
 約束はなかったのだ。
 愛している人の言葉なら、待てたかもしれないのに。
 三郎は、その過酷な旅から生還したにもかかわらず、その1年間は月面に行ったきりだったし、 連絡はくれてそのたびいつも優しかったが、その優しさは“妹”に対するものと同じ気がして。 二度目の旅立ちの前には、言葉すら残していってはくれなかったから――。


  「私は、加藤三郎さんの、部下でした」
少ない言葉だったが、その言葉には重みが感じられた。
(部下――)
彼の指揮で飛び、一緒に戦い、お互いに守ったり守られたりする関係。
 それはどういうことなのだろう。きっとワクワクする体験だったに違いないし、 でも、そんな一言で片付けられるようなものでもなかったのだろう。――想像もできない世界。
 「…命のやり取りをする戦闘機隊の仲間たちは、強い絆で結ばれています。……特にヤマトでは」
重い口調だった。死んでいった仲間たちの顔が浮かぶのか、何かに耐えているようだった。


 「それで、三郎さんは……」
生存者と戦死者の報は真っ先に伝えられたから、知っていた。
「その死にざまを、伝えたいと思いました。あいつが」
ここで佐々は言葉を切った。親しかった女性の前で、つい仲間うちで呼び合った呼称で言ってしまったが、 外部の人にはむしろそのつながりが辛いかもしれないのに。
「…加藤さんが、どのようにして地球を守り、敵と戦い……そして、私たちを守って亡くなったか――」
佐々は顔をそむけるようにして、一気にそこまで話した。


 佐々も死に目には遭っていない。ただ古代艦長代理から聞いた話だけだ。だが、 佐渡やユキからもその最期を伝えられ、その加藤の顔は生前の姿とともに鮮やかにまぶたに浮かぶ。 ――泣けなかった。涙が乾いたまま。この痛みを分かち合える仲間とだけ、ともに泣くことができる。 一人では、泣けなかった――。


 コスモタイガー隊の生存者は、わずか5名。白色彗星本星との戦いで重症を追い、 最後の決戦に参加できなかったメンバーだけだ。腕を、目を、身体を損傷し、 中には前線に復帰できなくなった者もいる。


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 「待って……待ってください」
佐知香は、佐々を止めた。
「まだ……やっぱり、ダメです。私、聞けない」
 彼女は直感していた。おそらく、誰よりもヤマト戦闘機隊長としての加藤三郎を、 三郎さんの本当の姿を、この人は知っているのだ。それを、受け止める勇気があるか ――本人が失われてしまった今、その真実を知る勇気が?
 佐知香にはまだ辛すぎて、その勇気が持てないことが、今、わかった。
 「ごめんなさい、せっかく大変な中をいらしていただいたのに……ごめんなさい」
涙をこらえるのが精一杯だった。
 この女性ひとはどんなに辛い思いをしてきたのだろう――なのに、 私はたったこれだけで、これだけでも耐えられないのか。 佐知香はさらに自己嫌悪に押しつぶされそうになって佐々の顔をよく見られなかった。


 「それが当然です――私も思いやりのないことをしまして」
佐々はそのまま、立ち上がった。
「……彼の遺言のような気がしていたのです。私も、貴女にお会いしてみたかったから」
 その言葉はすっと佐知香の胸に届いた。
(え? 私に?)
佐々葉子はまっすぐな目をして佐知香を見ていた。
「えぇ……加藤三郎の愛した人に」
 そう言うと、ぺこりとお辞儀をして去ろうとする。
 「待って!」
佐知香は慌ててそれをとどめようとした。
 ちょっと驚いた顔をした佐々だったが、ふっと笑って
「私の連絡先です」
と一枚のカードを机の上に置いた。
「あと1週間程度しかおりませんが、そこへご連絡いただければ呼び出してもらえますので」
 地球防衛軍の関東方面基地だった。さほど遠い場所ではない。
目を見開いたまま佐知香は目の前の女性と机の上のカードを見ている。
「やはり話しておきたい。――もし決心がつかれたら、訪ねていらしてください。 ……それに、加藤さんが飛んでいた世界をご覧になるのもよいでしょう」
 それだけ言うと、去っていった――。
 (鮮やかなひと――)
それは佐知香に強烈な印象を残した。


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背景画像 by「Silverry moon light」様


▼『宙虎シリーズ』の番外篇の背景は、いくつかの素材で作られています。
一番多かったのが「Silverry moon light」様、次いで「幻想素材館」様、「Blue Moon」様でしょうか。
その後はシリーズごとに違う印象のものを使わせていただき、新月では、数としては「壁紙宇宙館」様が多くなりました。
宙虎作品のイメージを作ってくださったこれらの素材サイト様、最初に背景等のデザインのアイデアをご提供くださった
某管理人およびそのご指導をいただいたT様にお礼を申し上げます。
作品とデザインは一体のものと考えていますので、今回のリニューアルにあたってもほぼそのまま使わせていただきました。
この場を借りて、末永く感謝いたします。
管理人 Ayano・拝



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