【君を見つめる10の御題】より

      air icon  君の手が頬に触れる、それだけの話。


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 「ばかやろうっ!」
短い風が頬を切って、小さな鋭い音が爆ぜ、熱い痛みが残った。
 殴られたのだ、と気付いたのは一瞬のあとで、周りの方が呆然としてそれを眺めている。
佐々隊長は手が早い――痛くなくってさ、気持ちいいんだよな。
そんなことが兵たちの間で言われている。
本気で殴ってはいるのだろうが――相手を傷つけるようとしていない所為だったろう
し……そこは女の骨格だ。男のような無骨さは無い。もちろん素手で相手を叩きのめ
すための戦闘術も佐々は身につけている。あの時代、白兵戦の機会の多かった人間は
身を守るために一通りの殺人術は得ていた。特に女は――素手で人を――しかも顔面
や顎など頭部に近い部分を殴れるかどうか、というのは死活問題なのだ。
 もちろん平手には殺傷能力はない。だがそれを突きに変えれば、半日くらい相手を
動かなくするのはわけない女である。……無意識の彼女に後ろから近づいて、半殺し
の目を見た男もいたというのも知られた話だった。
 その彼女の愛情ある平手打ちを喰らった部下――粕壁かすかべ伍長は、納得できない
という顔で上官の怒りの燃えた瞳を見返すと、体を起こして真っ直ぐに直立した。
礼儀は心得ている。
「殴られた理由は、わかってるのか」
体罰に説明はない。命令にも説明はない。――わかりたければ自分の頭で考えろ、
頭があるならな。……これが軍隊の通例だ。上官が部下を殴るのに理由など不要
――もちろん、現代の宇宙軍隊で、そんなことはあり得ない、というのは建前である。
だが佐々は、理由のない体罰は加えなかった。――彼女だけではない、彼女の回りの
者たちは皆。問答無用で殴られた――そんな時も、あとで考えれば必ず、あぁあれは。
と心当りがあるものなのだ。それが彼らの矜持であり、彼らが部下たちから慕われる
理由。
 「――は。はい…」
「わかってるのかっ!!」
また怒りの炎が揺らめいた。
それは新兵がはっ、と体を引くほどの迫力で、粕壁は一瞬縮み上がったが――体格
は粕壁の方が優に20kgは重いだろう、だからそれは生理的な恐怖感ではなかったの
だが。
――彼は、自分が殴られた理由など、わからなかった。だから、ムッとしたのだ。
 「――説明、して…いただけるのですか」
新米が中隊長に言う言葉としては不遜すぎた。ざわっと後ろにいた同僚たちが引いた、
おい、やめろ。粕壁、謝れっ。そんな囁きすら起こる。
「……」
佐々は厳しい目―― 一部の柔らかさもない目でそれを見返すと、「戻れ」とだけ冷た
く言った。そして隊に戻った粕壁にはもはや目を呉れず、
「明日もある。全員、解散っ」と短く言い、踵を返して部屋を出ていった。
副官の如月がすぐにそれに続き、隊から少し離れて立っていた数人――テクニカルメ
ンバーやエキストラ――の中からすっと古河大尉が出てそれに続くのを部下たちは見
送った。

 「お前ぇ、莫迦だなぁ。素直に謝っとけよ」
ぼん、と肩をどやされて、同僚が言うのに、粕壁は「るせっ。俺はなにもしてないっ」
「おめー本当にそう思うのか?」
桜井准尉とコンビを組んでいる同期の壱岐いきが言った。
「よっく、考えた方がいいぜ? 佐々さんに睨まれたら」
「そっそ。あと、やりづれーって」
仲間たちがからかうように言う。
「…ふんっ、なんだ、あんな女」「おやそいつは聞き捨てならねーな」
「な〜。……殴られて、ど? 気持ちよかったろ?」
「そうそ。俺だって叩かれてみたいわぁ」
どっと笑われて、粕壁は自分が擁護されていない、と知った。
 (何故だ? ――俺はこのオペレーションで結構、成績上げたはずだ。やり方、
マズかったか? それとも、なんか感情的に気に食わないことでも?)
粕壁は誤解している。……佐々は感情では動かない。いや、“怒り”という感情で動
くことはあるが、その底には緻密な計算が潜んでいる。感情のベクトルがあったとし
ても、その成果を満足させるために、どうすれば効果的か。それを常に考える意識が
彼女のうちには常に存在している、ということを――まだ若い彼は知らない。

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 ふぅ。
部屋に戻り、ざっとシャワーを浴びた処で、着替えてまたやってきた。通常任務の中
に夜勤は無いのだが、今回だけは特別――相棒は、そういえば。
 「よう」
コンピュータルームに続く佐々の執務部屋へ、入ってきたのは古河大地だった。
「――シフト時間か?」
あぁ、と彼は少し笑って、どさり、とソファに腰を落とした。
「まだ少しあるさ。お前も早めに来たんだろ?」
「あぁ――」
 勤務時間が終わり、夜が始まる間の時刻――基地の奥まった此処には、人影が途
切れる。巡回は当然あったが、その僅かな時間。太陽が無く、時間ときの存在しない此処
で、昼と夜が行き交うこの時間が――人工的なものだとしても、葉子は嫌いではない。
 「今夜、お前だったっけ?」
カチャカチャと紅茶を入れて、ソファに自分も座りながら、葉子は言った。
「お、佐々の紅茶――ラッキー」 嬉しそうに古河は言い、くい、と一口飲んだ。「あぁ、
旨い。やっぱ最高だよな、お前のお茶」
「……ありがと」と言いながらもじっと古河を見る。
彼はぶ、と紅茶を吹きそうになった。
「――あ〜、わかったよ。はい、ウラワザ使いました。白状します、夜勤交代してもらい
ました」 両膝に手をついて、ごめん、と頭を下げる。
 まったくもう。
ふぅ、とため息をついて苦笑しながらも、「もういいさ」と彼女は言った。「いつものことだ」
「そう…いつものことだ」と古河は言って、
「お前を、別の男と2人きりにしとくのは嫌だからな」
そう言って、悪びれずにニヤっと笑った。
ん、もう。と、彼女は少し膨れた。
「――んなこといってたら夜勤なんぞできないじゃないか」
誰もが、というわけではないのだ、と古河は思っている。ヤマトの連中や、もう長い連中
なら大丈夫だ。――だが。若い者たち(とはいえ古河も佐々もまだ20代半ばだが)は、
信用できない、と思う。
「だって、だよ。――月でのこと、忘れたのか?」
「月?」
あぁ…あれ、か。
 そんなことがあった。1対1じゃなかったが、処分されたのが居たな、2人。その後
あいつらがどんな人生を送ったかは知らないし、興味もないが。お蔭で白色彗星戦
で死ななかったんだから、良かったろうよ。――冷たく思い出す。それよりも、その時
助けてくれた宮本と、工藤と、加藤隊長とを。懐かしく。
 「ん?」
佐々はふと気づいた。「――お前、なんで知ってんだよ、そんなこと」
「ん?」古河は知らぬ顔をした。「さぁてね」
「お前、あの時、第二基地だったろ?」何故知ってるんだ、と目が咎める。
「俺だけじゃないっす。山本さんだって、ほかの連中だって知ってるぞ」
「なんっ――」
 それだけ守られているんだ。守りたいんだよ、皆――言葉には出さぬまま。
古河は、心の裡に言葉を落とした。
 「今夜は、粕壁だったろ」佐々はぼそりと言った。
「あぁ――代わらせた」
ふぅ、と彼女は息を吐いた。
「話してみる、機会かな、とも思ったんだが」
――あまり声をかけすぎると癖になる。
機会を逸したのも良いか、とも思うのだ。自分で、わかってもらわなければならない。
でなければ、繰り返すから――。
 「次、同じことをやったら、チームからは外す…」
「そう、だな」
古河は佐々の言わんとしていることはわかっていた。何故、彼女がヤツを殴ったかも、だ。

 さて、行こうか。そろそろ時間だ。
そうだな。
2人は立ち上がり、古河の方がキッチンへ茶器を下げた。
「あぁ洗わなくていい――置いておけばやってくれるから」「あぁ…」
それでもダッシュマシンに突っ込んで、灯りを落とす。
 ありがとね、そう言って通路で待っていた彼女に、ふと、彼は近づいた。

 「俺、悪いことしたら殴るか?」
何を言うのかと彼女は立ち止まり、長い付き合いの相手を見返す。
惑星光が窓から差し、通路に不思議な光を落としていた。それが続く場所は回廊のよ
うにも見える――幻想的な風景でもあった。
「たとえば、さ。――俺が」
どんなことしたら殴られるかな。――古河は悪戯めいてそう思ってみる。
 ひょい、と手首を掴みとって、ぐ、と腕を回した。
「何をするっ」
咄嗟に手をひねろうとして逆手を取られ(相手も歴戦の勇士だ。簡単にねじ伏せられて
はくれない)、瞬間、開いている方の手が動いて、顔を払った。
 ぱしっ、と鋭い音が空気を切り裂いて、ふ、とその力が緩む。
 「おぉ、痛ぇ…」
大げさに手を拡げて、古河が笑っていた。
「あ、ご、ごめん――」
謝る筋合いのものではないのだ。彼が何故、突然そういう行動に出たかはわからなか
ったが、狼藉を働いたのは確かで、それを引っ叩き返すのは当然の権利――だろう。
「いや」……そんなことは承知の上なのだろう、彼はニヤりと笑いながら、手で自分の
頬をさすっている。相当思い切りやったらしく、浅黒い彼の頬が少し赤みを帯びていた。
 「ごめん――痛かった?」
ひょい、と近寄って、彼の手をはぎとり、自分の掌で、それを撫ぜた。
え、と驚いて成すがままに、古河はじっと立ち、するりとまた彼女のその手首を取った。
「だいじょう、ぶ――。俺が、悪いんだから」
戸惑っているような、声。
 つかんだままの手首をそっと離すようにして、ふわりと首に何かが巻きついた。
「ごめん――感謝、してるんだ」
一瞬だが、そうされて、戸惑ったまま――。

 「佐々、すぐ行く――悪いけど。先、行っててくれ」
「あぁ」軽く手を上げて、そのまま後ろを見せて歩いていく彼女――。
大地は窓に背をもたせかけたまま、呆然としていた。

君の手が頬に触れる、それだけの話。
 それだけの、話なのだ――。
 だがそれは。
なんと、甘美で、温かいのだろう。

 彼はそっと、自分の手を彼女の触れた頬に当てた。
華奢で、柔らかな感触。
だが鋼のように鋭くて――銃を取らせたらその指はしなやかに標的を穿ち、その正面
に立つ者はすべて――生きては戻れないといわれた、女。
 (佐々――)
自分は何故、此処にいるのだろう――。
この温かさのためだろうか。
ただ一人、そらを駆ける、魚のためだ。
 彼はしばらくそうして瞬間を反芻していたが、また立ち上がると、たった今、佐々
が――彼の天翔ける女神の去っていった方へ、急ぎ足で歩いていった。
今夜はまた一夜ひとよ――俺のものだ。彼女を護り、職務を果たし……同じ時間ときを、
過ごす。
 基地コロニーの夜は、始まったばかりだった。

Fin

eden clip


――A.D.2205年頃 on the Moonbase
綾乃
Count018−−26 Aug,2008


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背景画像 by 「Little Eden」様 

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★TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』をベースにした二次創作(同人)です。
ただし、登場人物はすべてオリジナル・キャラクタですのでご了承ください。
★この御題は、Abandon様からお借りしています。

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