- moon light sonata -


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sord clip


= 3 =



 古河は2週間という短い期間で軍刑務所から出てきた。
 一般刑務所に入れられたなら長かったかもしれないが、軍務上の措置として扱われたため そちらになったのだ。重い刑の場合の軍刑務所は人には惨いほどの場所であったが、 一般人としては重くとも軍人には軽い刑というのもある。――古河の実績や日ごろの行状などから、 誰もが“何かあったのだろう”と考え、それは刑務官たちも同様だった。
 彼は模範囚でもあり、素直に反省した様子でふるまったため、すぐに出てきた。
 古河にしてみれば、長い間、佐々の元を離れていることが心配だったのだ。 だから詳しい者に尋ね、査問にも肝心のこと以外はなんでも答え、動機については
「昔の女の逆恨み、気に食わなかったから」で通した。
加えてどうすれば早く出られるかを考え、そうしてその通りにしたにすぎない。


glass clip


 出てきた時、佐々が迎えてくれたので彼は驚いた。
首にかじりついて泣かれたため、思わず抱きしめそうになって――自嘲するのが苦しかった。
 そうして古河は気づく。
 佐々が、ひどく体調が悪そうなことに――やつれているといってもよいほどだったのだ。


 「どうした? ……無理してんのか?」
 軍刑務所に居て、少し辛かったことといえば、もはや封印されたほど遠くなったあの数か月を フラッシュバックすることがあったくらいだ。扱いは人道的で、そのうち半分を独房に入れられていた とはいえ、捕虜経験に比べれば高級ホテルと地下牢ほどの違いがある。
 佐々はううん、と首を振ると、だが少し泣きそうな顔で笑って言った。
「――ちょっと……仕事がキツくてね」珍しいことを吐いた。
「あいつに、何かされてないか?」
「……んん」首を振った。「あれからは、何にも」
ごめん。と佐々は言って、また古河の首を抱いた。
 珍しいこともあるものだった。
 可哀相になって、今度は腕で包んだ。保護欲、というやつだ――やっぱり、なんかあったな。


 実際は、"仕事がキツい"というのは本当だった。
腹いせ、ともいえたかもしれなかった。中條は古河の脅しを、
「セクハラは許さない」「もう口説くな」と取ったし、それは正しかった。 だが仕事上で人より負荷をかけることは業務上の仕儀で、それに異議を唱えるのは難しい。 また佐々の高い処理能力は、それをこなしていったし、ヤマトの時代を考えれば 相当な無理でもそうは思われなかった。
 この時期――加藤四郎が航海に出ていたことも災いした。
 見張る者も、気遣う者も無く、残業につぐ残業と中條の出張に同行し、その先では ひたすら仕事に継ぐ仕事だった。思い切れば彼はパワフルになれる能力の持ち主で、 だからこそエリートたれたのだ。


 毎日毎晩、官舎へ戻れば倒れるように眠る日々が続き――その2週間目である。
その合間をなんとか数時間を抜け出してきた佐々だった。
 「すぐ……戻らなくちゃ――今日は、ゆっくり休めよ」
出頭は翌日でよかった。エアタクシーで古河の官舎近くまで送ったあと、 佐々はそのまま本部へ取って返したのだ。
 走り去るタクシーを見送って、古河は拳を握り締めた。
(――あの、野郎……。)
調べてもし、のことがあったらただじゃ置かねぇ……。


 暗い瞳が光った。


sowrd clip


 中條の思惑では、仕事は自分の裁量で出来るギリギリの範囲での采配で、 誰も気づかなかったといえる。ただ、
「佐々さん最近、忙しすぎないか?」「ん? いつもだろ」
「だけどなんか残業多いな」「――そういう時期なんだろ」
機密事項を扱うことも多い彼女たちについては、場合により触れない、 というのは暗黙の了解があった。飲みに誘えないとか彼女の表情から冗談口が消え、 昼の休憩などでも執務室にこもっていることがある。 そこで居眠りしているほどだというのは部下や同僚たちには知られていない。


 (悲鳴を上げるがいい――どうしようもなくなれば言ってくるだろう)
中條は内心ほくそえみながらそう考えた。
部下には過負荷について訴える権利はある。そう言ってくればそれなりに対処するつもりでいて、 それを機にもう一度持ちかけてみるつもりだった。
――だが、中條は。彼女たちのような人間の気力と生真面目さを過小評価していたかもしれなかった。


 佐々だとてわかってはいた。だがそれに乗ってやるつもりもなかったし、 より効果的な方法を考えていたにすぎない。
――今回は、加藤には頼れない。古河にこれ以上迷惑をかけないこと。 子どもが生まれたばかりで多忙な古代にも森にも知られるわけにはいかなかった。 これは自分のこと、だからだ。


 古河が出獄した日の夜――ようやく残業を終えた佐々は、意を決すると中條の執務室へ向かった。 中條はたいてい、部下が残っている限り自身も仕事をしている。
彼女たちのように現場へは出ないから使う気力は現場の中間管理職ほどではないに違いなかったが、 それだけに文句も言えないというのがその範疇で仕事をする者たちの共通した意見でもあった。
 「入ります――」
佐々が言った時に、彼は(ようやく来たか)と思った。
だがその思惑は二人、思い切りズレている――。


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 部屋を出ないか。と言われてそのまま庁舎の外へ向かう通路を歩いていた。
佐々としては早く話をして一刻も早く自分の部屋に帰りたかった。
だが今日こそは言っておかなければならない――何か思惑があるのならそれを。 そうしてそれが色の誘いならきっぱり断り続けるしかないのだ。
 だが己がどのくらい弱っているか、計算できなかったのは佐々の不覚である。
 地上勤務の油断ともいえた――それが艦上なら。あり得ない自己管理不足だったろう。


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