−−A.D. 2227年
「Crescentmoon題2005-No.55:蒼い真珠」
「Crescentmoon題2005-No.55:蒼い真珠」
= 4 =
あいつは行っちゃったんだ。人の気も知らないで。
なんだかわからないうちに、勝手に。自分で決めて。
相原祐子はまだ、自分が加藤大輔を好きだと決めていたわけではなかった。
確かに誰よりも話しやすく、身近だった親友。――いつも三人でいても。
南部勇人はどことなく大人っぽくて、もちろん気の置けない仲間ではあったけれど、 より男の子を感じるのは南部の方だった、確かに。嫌いではない――いや。好きだけれど。
この間、父さんにもやんわり言われたっけ――。
「南部の息子と付き合うのなら、ある程度覚悟しておけよ――お前たちだけの問題では済まなくなる…」 気にすることはない、ないけれどもな、と。「だが、いつかは…」そうも言った父さん。
母さんと恋に落ちて、図らずも、そういうことからは最も遠いところにいたという父さんが、 いやおうなく巻き込まれた、防衛軍長官の孫娘との恋――という状況。その後の人生の変転を考えれば、 その言葉には重みがあった。……だから、「何言ってるのよ」とは捨てきれないで。だって。
南部勇人が私をどう思っているか、 まったく知らないわけじゃない。私だって、嫌いなわけじゃない。
だけれど、これが恋かどうか――どうしたらわかるっていうの。
古代さんを想っていた時とはあまりに違いすぎて。
どうして誰も。
加藤大輔のことは言わないんだろう。どうして誰もが、南部勇人だと思うんだろう。
それはね。
「住む世界が違うと思われているのじゃないの」
と目香美が言った。 「所詮、軍属の人と。だって遠すぎるわよ、大学生じゃ」
彼女は現実的だ。
「――まぁ貴女の場合。お家がそうだから、そうでもないのかもしれないけど?」
彼女はこの間の宴会以前にも、加藤大輔に面識があった。
南部勇人とはもちろん親しいし。
「確かにカッコいいけどな〜、加藤くんて。でも、ライバル多そうじゃない?」 とほくそ笑む。「エリートだしさ、士官候補生なんでしょう? お家もそうだし」
確かに大輔にはいつも女の子がまとわりついているイメージがある。 本人はわりに硬派だと自認しているのだけれども、一緒にいる時に電話がかかってきたこともあるし、 学校祭に行った時にそれらしい女性に会ったこともあった。 ……要するに、実は大輔の私生活については、ほとんど知らないといってもよい。
デート、というのだろうか。久しぶりに何の用事もなくて、食事にでも行こうかと言って出かけた。 少しおしゃれをして、ミュージカルを見にいった。
勇人とはわりあいに趣味も合うから、話していても楽しいし、選んでくる演目もたいてい、 気に入らないということはない。気配り抜群知識も豊富な南部のことだから、その知恵を駆使している…… という処があるのかもしれないと思っていたら、そういうわけではないんだそうだ。
本当にそういった点では興味を持つ範囲は似ていたのかもしれない。
「僕は無理してないよ……祐子と話すのは刺激になるし、ラクだ」
前にそう言われたことがあった。
芝居も良かったし音楽もマル。出演していた若手の評価など交わしながら、 する食事の会話はとても弾んだ。大輔相手ではこうはいかない。歌舞音曲一般的に苦手なあいつでは。
夜景のきれいなバーで少しアルコールを飲んで、の帰り道。
ゆっくりと街路を歩く――その路沿いで。抱き寄せられた。
無理にというわけではなかった。そっと、手をつないで――少し恋人同士のように。 勇人がそうした時も別段イヤではなかったし。その手は温かくてなんだか心までほっこりして。 こんな穏やかな付き合いも良いなぁって思って。
将来なりたいもの――それはもう互いに周知だったのだが――について、熱く語り合ったりもした。 話すことは尽きなかった。
星がきれいだ。
なんとなく立ち止まって、顔を見合わせた。ゆっくりと抱き込まれて、頭を預けると、 その手が頬に伝って、顔が近づいた。
そっと――唇が触れる。
「南部くん」
「相原――」
「…ごめん」
思わず、顔を逸らして、手で、その肩を押さえていた。
「いやだった? ……」
ううん、と首を左右に振って。ちがう――そうじゃない。私だって貴方が好き。
そう思って見上げて。ちょっと動揺しただけだから――。
もう一度、キスしようとして、今度は、ゆっくりと、唇を重ねた。
腕が肩にかかり、だけれどもそれ以上、近づこうともせず。まるで少女のような、淡いキス。
「君が、好きだ――」
「えぇ……」と祐子は答えた。「…私も、たぶん」
「知っていただろう? もうずっと。何年も」
えぇ知っていた。気づいたのは最近だけれど――。
なぜ気づいたのだろう……積極的にアプローチしてきたからだということもわかっている。 最近、態度にハッキリ出すようになったから。そして、思い当たる……加藤くんが。大輔が、 行ってしまったからだ――何も残さず。まるで私を見たくないかのように。
「ごめん……」
もう少し深く抱き込もうとした勇人を、押し戻すような格好になった。
「ごめん…今日は、これ以上は……」
なんとも情け無い気持ちで、祐子は顔を逸らせる。
ゆっくりと腕を解いて。「送ろう……」と勇人は言った。
「ありがとう」と言って。その後は言葉少なに、ただ並んで歩いた。
「今日は、ありがとう。楽しかったわ」
別れ際。目を上げて、そう言った。
「また、誘ってくれる?」と言う表情に無理はなかっただろうか、と自問しながら。
勇人の少し困ったような笑顔は、女の子たちが夢中になる魅力。本人は気づいていないのだろうが ――そんな顔をさせてしまう自分に、自己嫌悪が沸いてきた。
さよなら、と差し出された手を握った時、その手を引いて自分から軽く口付けた。
「おやすみ」そう言って。
帰宅の挨拶もそこそこに、たたたと自室に篭って鍵をかけた。
涙が伝った――。
(私……どうしたら良いんだろう。……どうしたら)
優しく包んでくれる……いざという時は、頼りにもなる。例えば、 同級生の他の男子たちやへたな大人よりもずっと、素敵な人。幼馴染だけれど。 私なんかにはもったいないかもしれないくらいの。その南部勇人が自分を好きだったと言って。 ……そして私自身も彼を好きだと思っていたけれど。
心の奥底に――押し込めて忘れようとしたことを、改めて引きずり出されてしまったようだった。 なぜ、キスされて、そのまま預けられなかったんだろう。
なぜ、誰かの顔なんて、思い出してしまったんだろう。
乱暴で、おっちょこちょいで、口が悪くて……いつもいつも。自分勝手に飛び出していって、 どこにいるかわからない人。戻ってきたかと思ったら大怪我して、心配ばかりさせる。
あれで本当に、戦闘士官じゃなくて、航海士だっていうんだから笑っちゃうわ…… あんなヤツの運転する戦艦なんて、怖くて誰も乗れないじゃないの……。
今頃、はるか10万光年の彼方を飛んでいる、もう一人の幼馴染。
――私はもしかして、彼の方が好きなのかしら?
迷いがあるうちは――勇人の胸に飛び込むわけにはいかないのだ。
……自分の気持ちがわからない……勇人は好き。
大輔に感じないときめきがある。男の人としてもとても魅力的だ。
子どもの頃から知ってるから、彼がどんな人だか、私は知っているし。
彼も私のことを本当に理解してくれている。
……だけれど。