= 2 =
数日後。
「ひどい天気だな――」
朝、出がけに靴を履きながら、送りに出たテレサに大介は言った。
「大丈夫かい?」
顔色が少し青いような気がする(もともと青白く見えるのだが、暗い所為か?)。 テレサの苦手な、雨。 一雨来そう、というか、これは土砂降りになるだろう予感がある。天気予報でも、雷雨注意、とあった。
(どうしよう――雨だけじゃなくて、雷雨だって…。カミナリなんか鳴ったら、 恐ろしくて居られないかもしれないし……)
島は本気で、仮病を使って休もうかと思った (仮病を使わなくても、年休は山ほど残っているのであるが、それには気づいていないらしい)。
「出かけるの、やめようか?」
島がそう言うと、きょとんとした顔をしたテレサは
「どこか、具合でもお悪いのですか?」と尋ねる。
いや、僕じゃなくってね。君の具合が悪いんじゃないかと思うのだが。
島は口には出さなかったが、無邪気に見返すその人を見上げて少し困った。
テレサはわかりました、とでも言うように少し頷いてにっこり笑った。
「――私なら大丈夫ですわ。ほら、外へ出なければ濡れませんし、最近は、 眺めているだけなら雨も好きになりました」
「本当?」
「えぇ」
うっとりとするように笑って、それは雨を好きなのではなく、島がそんな風に心配してくれる様が嬉しくて−−また、 どこか可愛らしいと思ってしまったから。
「ですから、気になさらないで、いってらっしゃい」
「――あ、あぁ」
島は頷くと立ち上がった。はい、カバン。と渡されて、なんだか新婚のご夫婦みたいだな、と今さらながら、ちょっと照れる。 ……それ以外何があるのだ? とも思うが、慣れないのだ。ましてや普通とは言い難いシチュエーションで、特殊な状況だし。
靴ひもを結び終えて、島は立ち上がり、じゃ、本当に気を付けて。
とテレサの頬に、いつものようにキスをする。
はい、大介さんも。微かに耳元に囁くようにそう言ってテレサはばいばい、と手を振った。
その日は天気予報通り、午後から空は真っ暗になり、そうして突然。土砂降りの雨が東京メガロポリスを襲った。
都市管理機構がドームを閉めようかと相談するほどの雨だったが、 ドームなど閉めてしまえば周辺地域の河川や人家に被害が出ることも十分予測されたので、都市部にもその集中豪雨は降り注ぎ、 それを受容するしかなかった。
もちろん排水は万全に整備されていたが、雨量は、あとから知ったことだが都市許容量臨界まで達しようとしていたらしい。
塔の高い場所で業務に勤しんでいた島大介と部屋のメンバーは、突然の雷雨に揺れる部屋に驚いた。
「おう、バックアップ指令が出たぞ」
「言われなくてもやってる」
電子機器で動く各部署は、電気系統をやられたらアウトである。もちろん、磁気や他の方法も併用されているが、 不自由になることは確かで、またショートすれば部屋から出入りするのも不自由になる。
大介たちの部屋は比較的落ち着いていたが、ビルのあちこちからは「きゃー!」だの「ひぇ〜」だのいう悲鳴も聞こえており、 安全とわかっている中に居ても、雷の苦手な人間はいるのだと思った。
大介も雷が得意なわけではないが――爆雷を思い起こさせるから。彼は思わず、同年代の、 やはり戦艦に乗っていた同僚と顔を見合わせたが、彼もそう感じたことは確かだ。
雷が近くなったような気がする。
ひときわ大きな音が鳴ったかと思うと――部屋の明かりが落ちた。
一斉に、叫び声が上がり、次の瞬間、シーンとした静寂が起こる。
「フロア全体か?」
誰かが言い、扉近くに居た誰かが「そのようです。ただ、低層棟は明かりがついてますね」
「よし」
誰もが次の瞬間には、こういった場合のマニュアルを思い出したようで、それぞれの席で作業にかかる。
ややもして、うぃ〜ん、と静かな、微かにしか聞こえない振動が足元から湧いたと思うと、非常灯が点いた。
「……あぁ。わかった、よし。了解、こちらは問題ない。データもシステムも異常なし」
室長の落ち着いた声が緊張を解し、その数十秒後、通常の明かりが戻る。
「やれやれ」
誰かが言い、ほぅと声を出す者、くすくすと笑いだす者があり、部屋中がほっとした空気に満ちた。
が、次の瞬間。
だ、と島大介は立ち上がっていた。
「どうした、島」
「島管理官!」
そそくさと帰り支度をした島は、室長に
「申し訳、ありません。早退させていただきます」
と言い、後も見ずに駆け出した。
「なんだあれ?」部屋中の者がぽかんと見送る中、
「まぁいっか、どうせあと2時間くらいだし」
「島さん、最近、ヘンですよね」「あぁ−−恋人と同棲してるって噂だぞ」
「えぇ!? あの島さんがですか?」……姦しい声を「静かにしろっ!」と室長がたしなめる。
室長は知っていた。島の相手が誰で、何故、彼が急いでいたかを。
(地球の自然も、宇宙人には脅威。−−か)
彼は一人髭の下で頷いていた。
数日後。
「ひどい天気だな――」
朝、出がけに靴を履きながら、送りに出たテレサに大介は言った。
「大丈夫かい?」
顔色が少し青いような気がする(もともと青白く見えるのだが、暗い所為か?)。 テレサの苦手な、雨。 一雨来そう、というか、これは土砂降りになるだろう予感がある。天気予報でも、雷雨注意、とあった。
(どうしよう――雨だけじゃなくて、雷雨だって…。カミナリなんか鳴ったら、 恐ろしくて居られないかもしれないし……)
島は本気で、仮病を使って休もうかと思った (仮病を使わなくても、年休は山ほど残っているのであるが、それには気づいていないらしい)。
「出かけるの、やめようか?」
島がそう言うと、きょとんとした顔をしたテレサは
「どこか、具合でもお悪いのですか?」と尋ねる。
いや、僕じゃなくってね。君の具合が悪いんじゃないかと思うのだが。
島は口には出さなかったが、無邪気に見返すその人を見上げて少し困った。
テレサはわかりました、とでも言うように少し頷いてにっこり笑った。
「――私なら大丈夫ですわ。ほら、外へ出なければ濡れませんし、最近は、 眺めているだけなら雨も好きになりました」
「本当?」
「えぇ」
うっとりとするように笑って、それは雨を好きなのではなく、島がそんな風に心配してくれる様が嬉しくて−−また、 どこか可愛らしいと思ってしまったから。
「ですから、気になさらないで、いってらっしゃい」
「――あ、あぁ」
島は頷くと立ち上がった。はい、カバン。と渡されて、なんだか新婚のご夫婦みたいだな、と今さらながら、ちょっと照れる。 ……それ以外何があるのだ? とも思うが、慣れないのだ。ましてや普通とは言い難いシチュエーションで、特殊な状況だし。
靴ひもを結び終えて、島は立ち上がり、じゃ、本当に気を付けて。
とテレサの頬に、いつものようにキスをする。
はい、大介さんも。微かに耳元に囁くようにそう言ってテレサはばいばい、と手を振った。
その日は天気予報通り、午後から空は真っ暗になり、そうして突然。土砂降りの雨が東京メガロポリスを襲った。
都市管理機構がドームを閉めようかと相談するほどの雨だったが、 ドームなど閉めてしまえば周辺地域の河川や人家に被害が出ることも十分予測されたので、都市部にもその集中豪雨は降り注ぎ、 それを受容するしかなかった。
もちろん排水は万全に整備されていたが、雨量は、あとから知ったことだが都市許容量臨界まで達しようとしていたらしい。
塔の高い場所で業務に勤しんでいた島大介と部屋のメンバーは、突然の雷雨に揺れる部屋に驚いた。
「おう、バックアップ指令が出たぞ」
「言われなくてもやってる」
電子機器で動く各部署は、電気系統をやられたらアウトである。もちろん、磁気や他の方法も併用されているが、 不自由になることは確かで、またショートすれば部屋から出入りするのも不自由になる。
大介たちの部屋は比較的落ち着いていたが、ビルのあちこちからは「きゃー!」だの「ひぇ〜」だのいう悲鳴も聞こえており、 安全とわかっている中に居ても、雷の苦手な人間はいるのだと思った。
大介も雷が得意なわけではないが――爆雷を思い起こさせるから。彼は思わず、同年代の、 やはり戦艦に乗っていた同僚と顔を見合わせたが、彼もそう感じたことは確かだ。
雷が近くなったような気がする。
ひときわ大きな音が鳴ったかと思うと――部屋の明かりが落ちた。
一斉に、叫び声が上がり、次の瞬間、シーンとした静寂が起こる。
「フロア全体か?」
誰かが言い、扉近くに居た誰かが「そのようです。ただ、低層棟は明かりがついてますね」
「よし」
誰もが次の瞬間には、こういった場合のマニュアルを思い出したようで、それぞれの席で作業にかかる。
ややもして、うぃ〜ん、と静かな、微かにしか聞こえない振動が足元から湧いたと思うと、非常灯が点いた。
「……あぁ。わかった、よし。了解、こちらは問題ない。データもシステムも異常なし」
室長の落ち着いた声が緊張を解し、その数十秒後、通常の明かりが戻る。
「やれやれ」
誰かが言い、ほぅと声を出す者、くすくすと笑いだす者があり、部屋中がほっとした空気に満ちた。
が、次の瞬間。
だ、と島大介は立ち上がっていた。
「どうした、島」
「島管理官!」
そそくさと帰り支度をした島は、室長に
「申し訳、ありません。早退させていただきます」
と言い、後も見ずに駆け出した。
「なんだあれ?」部屋中の者がぽかんと見送る中、
「まぁいっか、どうせあと2時間くらいだし」
「島さん、最近、ヘンですよね」「あぁ−−恋人と同棲してるって噂だぞ」
「えぇ!? あの島さんがですか?」……姦しい声を「静かにしろっ!」と室長がたしなめる。
室長は知っていた。島の相手が誰で、何故、彼が急いでいたかを。
(地球の自然も、宇宙人には脅威。−−か)
彼は一人髭の下で頷いていた。