次世代>YAMATO'−Shingetsu World:KY題100(KY・No.67)より



butterfly clip蝉時雨


・・ある夏の日・・


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 今日の兄ちゃんは少しオカシイ――聖樹がそう想うようになったのはさほど時間が 経ったのちのことではなかった。
わざわざ自分と訪ねてきたことに他意があったとは思わない。父から頼まれたのかも しれず、だが兄自身が一度はそう言ってくるだろうことは予想していた弟でもあった からだ。
父親代わりになれる年齢差ではなかった。だが聖樹への影響力という意味では、父は それを多大に長男に負っている。
 「兄貴こそ、何故だ? 小さい頃からずっと、そっちの道以外は考えなかったんだろ?」
聖樹が反論すると、一瞬、虚をつかれたとでもいうように無表情になった。その横顔 が白く薄明かりの中に浮かび上がり、あぁ母さんとそっくりだななんて思う。横から 見ると睫なんか長くてきれいな目をしていた。
すこし笑うと「――そう、だな。考えたことないな」
兄はそう言っただけでまた聖樹を正面から見つめた。
「……俺は。……入学の面接でも言ったから笑っちゃうんだけど。お前と正反対かも しれないよ。何があったわけではなかった。だけど、行くのが当たり前で、自然だった…」
守はそう言うとグラスを手で弄んだ。


 守は内心をすべてこの弟に明かすつもりはなかった。もちろん天性の勘を備えてい るこの弟は、察しているのかもしれないと思うことがある。だが一つだけこの父親に 反発を続けているヤツには言えないこと――父・古代進を護れる男になりたい、と言 ったことは告げるつもりがなかった。父が地球を、人類を、母さんや俺たちを護ると いうのなら。父のことは誰が護るんだろう? 自分が敵といわれる人たちに囚われた時、 父さんは僕のために何も出来ないことに苦しみ、助け出された自分を抱いて泣いた。 ……それは一つのきっかけだ。
 守はそっと自分の、爪の代わりに肉が盛り上がった左手の親指を流し見た。
 父を、母を護りたい。そうして、この弟――聖樹や唯も。俺には地球のため、など という使命感は無いのだ。宇宙は憧れであり続ける……だからといって野望もない。 ふっと内心、守は自嘲した。……こんな不真面目な士官もいないだろうな。
 求められることに応え続け、演じるという意識もないまま此処まで来た。明後日か らは出航だ――初めて艦に乗り、しかもインターン乗艦ではない。宇宙の海に、出る。 しかも、戦闘空域だそうだ。今の時期――そんなものがあることそのものが不思議だ ったが。公にされていないことどもが多いと……いや星間ニュースでは流れるだろう。 だがそこでどのようなことが実際に行なわれているのかは知られないことの方が多い のだ。そのために父は、母は、命の火を燃やし身命を削っているというのに。


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  「どうしたの? 兄さん」
自分が黙ってしまったことに守は気づいた。
 少し贅沢だと思ったがホテルの部屋を取ってそこにいる。
 未成年にあまり飲ませるわけにもいかなかったし、明日もまた準備に追われるだろ う。士官候補生とはいえ一番下っ端の自分が遅れるわけにはいかない。


 「お前、何故、俺が今日訪ねてきたのか、不思議に思ってるんだろ?」
一方のベッドに腰掛けてゆったりとくつろぎながら兄が言う。
弟はふいと生意気に笑うと、言った。
「俺のため――今ならまだ間に合うってことだろ? それともう一つは。本当は…」
ぼいん、とベッドのスプリングに体を跳ねさせながら(そういうところはまだ子どもだ。 珍しいのだろう)弟は言った。「兄ちゃん、出航!? 遠くに、行くんじゃないのか?」
 時々、この弟には驚かされる。
 守はぼふ、とそのまま背をベッドに投げかけて天井を見上げた。
心地よい感触が体を包む。あぁ気持ちいいな……明日からしばらくこういう快適さと もお別れだ。
「あぁ――出航。どこかは言えないけどね」極秘事項だった。
「そう……」
弟もそうしたらしく顔が向こうに並んでいた。


 「戦闘空域だってさ。――初陣だ、張り切っていくぞってなもんだけど」
腕を顔に乗せて目を塞いだ。くすくす、と口から笑いが漏れる。
「どうしたの?」
あはは、と笑ってしばらくそうしていた守は、
「俺は、怖いんだ――本当の戦闘に出ていって、どうにかなっちまうと思うと、怖くて」
 そうだ。此処が戦闘空域で戦場の真っ只中だったらどうだろう? 自分は案外怖く ないんじゃないかと思った。平和なはずの宇宙――戦いは遠い場所で局地的に行なわ れ、それは知られることもなく、まるで普通の生活とは遠い世界の出来事みたいだ。
帰ってこれないかもしれない……そう思うと、途端に怖くなった。だからといって怯 えているわけではないのだ。確かに宇宙へ出ていく――仕事として、その喜びもある。 誇りだって、あるし、けっして怯えているわけではない。そう言って、この聡い弟は わかってくれるだろうか?
 上を向いたまま、そう言った守に弟はくすと笑ったようで
「兄ちゃん、似合わねー」
と言った。ふと何かが触れた――弟がそっと手を伸ばしてきたのだとわかり、それを 捉える。
「――うん。似合わない。……兄ちゃんは兄ちゃんでいてくれ。俺の目標で、憧れで、 お袋やあの人の“誇り”ってやつの、古代守だよ」
守は聖樹に触れた手にぎゅ、と力を入れた。手をつなぐような格好になる――「うん、 そうだな」そう言って。


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 「出航、見送りに行っていい?」
 翌朝。起点となるメトロのステーションで聖樹は守に訊ねた。訓練学校の制服と士官 候補生の制服のまま。それなりに美少年の2人は人目を引く。朝のラッシュ時に少し 早い頃。
「――そんなこと気にせず訓練、きちんとやれ」
「いや、いくよ。ちゃんと届ければいんだろ?」
苦笑しつつも守はそれを喜んでいる自分に気づく。父も母も、来ないのが当たり前で、 子どもの頃からそれに慣らされてきた自分。
 弟、か。
「明朝0800(ぜろはちぜろぜろ)、南港第三ポート。訓練学校の許可証見せれば入れ る。何か言われたら、第六駆逐艦アリオスの士官候補生・古代守の身内の者だと言え ばいい」
「あい・あいさー」
ぺき、と敬礼して聖樹は笑ってみせた。
 その一瞬の(めったに見せない)屈託のない笑顔が父・進と重なる。
(聖樹は父さんそっくりだ――そっくりの男になる)
「じゃぁ、な」そう言って2人は西と東に分かれた。「教練、がんばれよ」「うん」


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 訓練学校に続く道へとステーションを出ると、まだ朝の早い時間だというのにどこ かで蝉が鳴いた。
 昨日、兄と聞いた蝉時雨の音(ね)、そのはじき出された音符、という気がした。


 あぁすごい音だな。と以前、兄が言った。いつだったか街の外れ。父さん母さんと 居た時に父さんがしみじみと立ち止まって言ったんだと聞いた。
「――蝉が鳴くようになったか」そう言って辺りを見回すとそれらしき木を見つけて歩み寄り、 その木の肌を撫でたのだと。それがとても印象的で、普段の父さんからは考えられなかったから、 今でも覚えているんだ、と兄は言ったのだった。
 思い出はもう一つある。火星に入植した時に、どこだかコロニーの郊外に連れて行かれて 係りの人が蝉を離し――此処もすぐに蝉時雨が聞けるようになりますよ、と言った。
「蝉時雨ってなぁに?」と訊ねると、「いつか聞いただろ? 煩いくらいに鳴く蝉の声だ」 と父は言い、だけどね、それは本当の声じゃないんだと優しく教えてくれたのだという。 まだ兄が物心つくかつかないかという年齢の頃だった。
 俺にはそんな想い出は無い――父は常に、遠い人であり、生きながらにして家族で ありながら単なる“伝説”であり続ける。――そう思っていないといられなかったのだ。


 はじき出された音符。それでも音楽の中に不要なものは、無い。
俺は、俺だ――それに。兄ちゃんが居てくれる。俺だって、兄貴を助けられるのだ。
 聖樹は駆け出した。
訓練学校まで数キロを走って朝の体慣らし代わりにするか。当麻が待ってるだろうしな。


 古代聖樹、14歳。今日は、暑い日になりそうだった――。


【Fin】
――18 Jun, 2010

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