tokiアイコン−Спасибо−

(1) (2) (3)
    
   

 「お帰り――」
夕陽が長く影を引き始めた午後の深い時間の病室で。
――ここはいい忘れたが防衛軍の中央病院なのである。軍関係者だから使う――と
いう理由もあるが、それはギリギリまで仕事をこなす女性尉官のため。
佐々は休職中で、現在の身分は大学生だったが、相変わらず合間を見ては仕事の
手伝いもしないわけにもいかず――利便を考えてここにした。
…機密が守れるという意味でも、それは大きい。
「ただいま」
とゆっくり、感無量の思いを込めて、四郎は目の前の、少し細くなってしまったよう
な女性を見る。――子どもを生むと変わるっていうけれど。これは激変だな、と
驚いて。
 華奢というのが似合いそうな風情。残念ながらお腹の大きな姿は見ることができな
かったけれども、一人で決心して、一人で生んで。その間、僕は何も助けられなかっ
た……。
「話はたくさん聞きたいけれど、今日はなんだかやっぱりちょっと。疲れた」
と言うので、横になったらといって。でもそのくらいは大丈夫だから、と葉子も返し。
もう少し顔を見ていたい。無事でよかったわ、と少しはにかみながら言うので。
いとおしくなって、その肩を抱き寄せ、頭を包んで。逢いたかったよ、と言った。
 そっとキスして――本気にならないように。そっと頬にだけ。

 いつ退院できるのというと、うん、数日中には、という答え。本当は退院してもい
いのだけれど、子どもの世話できる状態じゃないし、まだ世話してくれる人の手配も
ついていない。それに、実はちょっと疲れちゃって。
 珍しくも、体調が少し悪かったのだそうで。
 それは、妊娠したからといって軍務を休んだ傍ら、大学で新しい勉強を始めて、そ
の合間にシミュレーション教官などやっていれば。普通の人間だって、疲れるはずだ。
ましてや身重だろう――やっぱり一度、無理して倒れたそうだ。
 ユキには面倒かけちゃったんだよ、と。
 なぁ、葉子――と。四郎は珍しく「さん」なしで。
「大輔を、産んでくれて。ありがとう――」
小さな声だったけれど。真摯な想いで――まだ実感はないけれど。貴女が、僕の子
どもを産んでくれるとは思わなかった。本当に、嬉しいんだよ、と。本当に涙ぐみそ
うになって。
 「育てるの、大変だよね」と葉子はまたいつもの調子に戻って言う。
「いや、俺ができる限り手伝うさ――」と四郎は言って。
「勤務も少し考えるつもりでいる」と。まさかそこまで、と彼女は言うが。
「いや。俺たちは、艦隊パイロットじゃない。俺は、航宙機に乗れれば何でも良い
んだ。だから、大輔が少し手が離れるまで、近くの勤務を申し出てみて、貴女を助け
るよ。――そのくらいはいいだろう?」と真面目に言うので。
 もちろん、希望を出すだけだ。どうなるかはあちらの判断だからな、と注釈付で。
「ありがとう――」と葉子はそう言って。
疲れちゃったから今日は寝るね、と言った。
 「しばらく一緒に暮らそうか」と四郎は言った。
佐々は否定もせず肯定もせず。
「う〜ん、届出とか官舎がどうなるのかとか、今、調べてもらってるの。私の住んで
るのは単身者用だけど、子どもの扱いはどうなるのかとか、あんまり考えてなかった
から」
 「結婚、しようよ」「また言うし――」「同棲ってダメなのかな」「それはダメらし
い、調べてもらったけど。古代たちも“婚約者同士の期間限定”付きだったらしいしね」
 う〜ん、とうなってしまった。
 しばらくは、“通い婚”かなと思う四郎であった。


 僕は今日は帰るけれど、と四郎が帰り際に。
 明日もまた来るし――退院の時間が決まったらエアカーで迎えに来るよ、と言って。
連絡をくれよねと言い置いて。
 あ、そうそう。
 「今のうちにゆっくり眠っておけよ」真面目にそう言った。
「赤ん坊が居たら、眠れないからさ」――そうだったな。あぁ知識だけでは、知って
いる。ありがとう、貴方もゆっくり休んでください。長旅ご苦労さまでした、と改まっ
た挨拶が背中を追いかけた。
 四郎はゆっくり病院を後にしながら、しみじみとした感慨に更ける。
 よもや、葉子との間の子を、この手に抱けるとは思わなかった。――俺は幸せ者な
んだな、と今帰ってきたばかりの星の海に散った仲間たちを想う。
大事にするから――命がけで。そう、誓う加藤四郎・25歳なのであった。

cardアイコン

【End】
――01 Apr/2006
綾乃
 
←新月の館  ↑前へ  ↓あとがき  →旧・NOVEL index
inserted by FC2 system