−−『宇宙戦艦ヤマト・完結編』後
:KY-No.68「彼岸花」より
A.D.2206年頃、地球
:KY-No.68「彼岸花」より
A.D.2206年頃、地球

= 1 =
「おう、ここだ」
呼び鈴もない古い家屋の入口で戸惑っていると、木戸の向こうから障子がカラリと開く音がして、 真田の声が古代を呼んだ。
「…真田さん」
古代は抱えてきた一升瓶を少し持ち上げて見せながら笑顔になる。
「団子、買ってきましたから」
「あぁすまんな、適当に入ってくれ。鍵なんざかかっていやしない」
ガラガラと玄関の戸口を閉め、入口からすぐ横手の畳敷きの部屋には、 真田が座って柱に背を凭れさせながら胡坐をかいていた。目の前には盆と杯の用意。 少しだがつまみの用意もある。
「――や、遅くなりました」
よっこらせ、とあがりこみながら自分も向かいに座りこむのに、いやいいさ、 急ぐもんでもなかろう、と真田は少し笑って、「先にやってたよ」
と杯を口に運ぶ。
「……真田さんとどうぞ、って呉れたやつがいましてね」
見れば幻の吟醸酒、『大山』。ほぉ、こんなものがよく手に入ったな、と目を細める程度には、 真田も酒は好きだ。男2人――月の光を愛でながら一献を傾けるのにふさわしいな、と言い、 さっそく口を開ける。真田が傾けていたのは『唯我独尊』という。 これも古代たちが以前、好んで呑み、ヤマトの中にも持ち込んでいた酒だった。
「あぁ、いい香りだ…」「うん」
「俺も、なんかこうやって飲むのなんか久しぶりですよ」
「そうか――お前も大変な立場になったからな」「真田さんこそ」
こんな表情の古代を見るのは何年ぶりだろうか。……あの艦が消えてから無かったかもしれない。 こいつが十代、俺は二十代の終わり頃――戦いも、出会いも。そして別れもあの中にあった頃のことだ。 まるであの頃に返ったように、少年の顔を見せて、 古代は嬉しそうに表情を綻ばせた。
「――しばらくは気楽な独身ですからね。今夜はゆっくり、飲りましょう」
そう言いながら真田の杯に酒を注ぐ。あぁ。と、真田もそれを微笑んで受けた。

それにしても、よくこんな場所ありましたね。
月の光が障子を通して入る部屋。
障子は半分開け放して、今夜は十五夜の月を眺めようと、山中とまではいかないが、 ひなびた場所にある庵のような真田の部屋へやってきた。
――和風といえば聞こえはいいが、外から見れば古い町屋のような小さな木造家。 もちろん真田のことだから奥の部屋にはネットワークも敷かれていたし、簡単だが通信施設もある。 だがそこは巧妙にカバーされて、古い日本家屋のようなこの家は静かに辺りの竹林と馴染んでいた。
「――こんな隠れ家、持ってらしたなんてね。知りませんでしたよ」
「そうだな……あまり人には言ってないかもしれないな」
実はもう昔から持っていた――というか。俺の爺さんの家だった場所だ、と真田は驚くようなことを言った。
「へぇ?」
古代は面白そうに答え、でもまぁ、いい場所ですね。とそれきり口をつぐんだ。
しんしん、と静けさが音を立てるような夜。月の光は庭先を照らし、そういえば。
「ススキまである――へぇ。お月見用に建てられたみたいな家ですね」
少々はしゃいでるかなと思うような声で。

しばらくは2人で黙って杯を傾けた。
言葉が要らない、というのはこういうことを言うのだ。
かたや多忙な科学技術省副長官――実質には現場の総帥ともいわれている男。 かたや戦艦アクエリアスを擁し、第七艦隊を統べる若き艦隊司令官殿である。
一方は地球の中枢にあってそこから宇宙を睥睨し、地球を支え、一方は遠く太陽系の果てにあって、 地球を見つめる。その“目”は常に何かを求め、そうして失ってきた者の哀しみを裡に秘めていた。
此処にはめったに来ることはないんだが――実はな。俺が絵を描くときに使っている。
真田はそう言って、照れたように杯を傾けた。
真田が絵を得意にしていることは、伝え聞くともなく知っていた。澪が――イカルスの時代、 その娘のためにけっこう描いてくれたこと、加藤四郎がその真田の手になる小さな絵を持っており、 見せてもらったことがある。……あとは、噂で。
(画家になりたい、と思っていた時代もあった)
それは古代自身が、あのイスカンダルへ向かう旅の間に、真田から聞いたのだった。
「ねぇ、真田さん?」
くいと飲んだ杯を畳に置いて、古代は真田を見た。「その絵。もしよろしければ、 見せていただいても構いませんか」
真田は一瞬、飲みかけた杯を止めたが、ごくりとそれを飲み干すとやはりそれを置いて立ち上がった。
「奥がアトリエになっている。……まぁ、入れ」
カラリと木の戸を開けると、高い梁の上は昔ながらの木の板張りを支えているのが見えた。 棚と床に大小の絵が立てかけられており、イーゼルや絵具があり……雑然としている。 だが落ち着いた空間だった。
――へぇ、これが。
少し大きめのキャンパスに描かれていたのは、忘れることのない顔と姿――淡い金色の光をまとい、 あどけなくだが気品のある表情をした16歳の少女だった。
人物画はさほど多くない。小さなものに数人の画――島大介、兄・守、 そして誰か知らない男の人――若々しい穏やかな風貌の青年が描かれている。
「……針生博士、だよ」
古代がその見知らぬ人の画を眺めているのを見て、真田が言った。
「針生って――あの、」
「そうだ。私の恩師にあたる――」
「アナライザーの設計者と聞きましたが」
「あぁ……もう長いことお会いしてないな」
そのくらいで。あとは風景画――地球の自然だけでなく、海や、森や。そして宇宙空間や他の惑星までも、 一つの自然に取り込むような不思議な絵もあった。抽象画も嗜むようだった。
「――イスカンダル、ですか」
古代の声に真田は苦笑した。「描こうと思ってみたんだがな――あの透明な美しさは描けない気がしてな。 記録を見返してみたこともある。だが、あれは、滅び行く星だった…」
「そうですね…」
柔らかなタッチが空気と光を表現しているのだろうと、真田の絵を初めてじっくり見た古代は思う。 独特の筆遣い。これはこの人の本質なのだろうか――優しい。深い、愛情。不思議な色遣い。
そうして一枚の布を剥ぐと、その下から現れた絵に古代は見入った。 大事な親友が――何ともいえない表情をして、笑っていた。……こいつは、この男の前で、 こんな顔を見せていたのだろうか――此処へも、来ただろうかとふと思った。

此処は真田の聖域なのだろうかと古代は思う。多忙な真田。 放置しておけば家は傷むだろうから管理だけは人の手を入れていたとしても、 なかなか足を運ぶ時間もないだろうに。
――それにしては描き溜めた絵の数は少なくない。
「――数だけはあるな。だが、描き上がったものは多くはないよ」
描くことそのものが大事な時間なのだろう、と言わずとも古代には知れた。
描きながら、遠い星を思い、戦いを思い、戦友たちや親友を、愛しい娘を想い…… それが真田にとって、彼らと会話することなのだ。
「特にモデルをしてもらったことはなかったんだがな――」
苦笑するように真田は言う。
「えぇ。でも、真田さんが皆をどう想っているかよくわかる……俺は芸術ごとはよくわかりませんが――いい絵だ」
「島だけは何度か来たかな――」
「え? 島がですか!?」あぁ、と真田は頷いた。
ヤツには何度かスケッチのモデルになってもらった。いや、此処で雑談してる時、 俺が勝手に描き散らすだけだけどな。あいつはけっこう照れて、いつも
「やめてくださいよ」と言ってたな。
――けぶるように笑う真田に、古代もつられて微笑んだ。
