去るもの・行く者

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 タバコはとうに燃えカスになっていて、手元に残った小さなかけらを灰皿に押し
付けた。
すぐにダスターシュートがそれを回収してしまう。便利な世の中になったものだ。

 「母さんと、同じ目には遭わせないであげて」
その。今一緒に暮らしている女の人と。
もう長い付き合いのはずだ――10年以上。よく多くの戦いを生き残った、二人
ながらに。娘として――そして母の気持ちを思えば、許せることではない。だが。
また新しい、不幸な人を作り出すことだけは、最早許せはしないから。
「あぁ……早季子さきこには悪かったが。大切にしている積もりだよ――早季子への
侘びも含めてね」
死ぬ前に。
その気持ちだけでも見せてあげれば。母さんはあんな不幸な死に方をしなくても
済んだかもしれないのに――。
 だが、今の葉子にはわかっている。
夫婦は――男女は互いのものだ。
母をあんなにしてしまい、自分を、家庭をそうしてしまったのがこの父なら。
この父をそのようにしてしまったのもまた、母自身の所為だということを。
 四郎がいつの間にか近づいて、後ろから肩に両手を置いた。
「葉子さんは僕が守ります――この女性ひとは強いけれども。それでも、男が守って
やらなきゃならないことだってあるはずだ」
思わず口をついで出たのだろう。
責めるつもりもなかったが――だが。
すべての彼女の悲しみの原因がこの人なら。
そしてやはり父親であるのなら。そう告げておくことが義務だとも思うから。
 そして。父娘ながらに、沈黙して。
 静かな、肯定と感謝の沈黙。手の下にいる葉子は。
そして、親としての――草臥れた男としての、沈黙。
それから。
 「あぁ」と息を吐くように言った。
よろしくと言える立場ではないが――安心した、とくらいは言わせてくれ、と。

「私に何かできることはあるか、今」
父親らしい気持ちがないわけではないのは、知っていた。
許せず、避けてきたのは自分の方だ。
「いえ――」
と答えたが、傍らの四郎を見上げ、そしてまた目線を正面に向けて。
「…一つだけ、お願いがあります――父さん」
 なんだ、と見返す。
「その方を――籍を入れるのは構わない。新しい家庭を築かれても構わないで
しょう。ただし」と厳しい口調になった。「“佐々”の名は与えないで」

 葉子らしくもないことだと思うかもしれない。
 「本来は貴方の姓である名ですが。今さら私も名を変えるわけにはいかない。
それに、私は誰でもない――佐々、葉子です」
その通りだと四郎も思う。
『佐々』『佐々隊員』……そう呼んでくれた優しい声をたくさん知っている。
その男たちの声が今でも耳から離れない。
彼らにとって私は、佐々葉子でしかあり得ないから。
「貴方に苗字を変えろというわけにはいかないから――だけれど珍しいこの名を」
2人、明らかに父娘とわかるように持ち続けていることは嬉しくないが。
だけれども。
「もはや誰にも継承させることは。――もし、私に子どもが生まれても、名は継が
せない。貴方の側に新たに子孫があったとしても。“佐々”の名は私で終わりにし
てください」

 一瞬、固まったようになって。
 その父親は、ゆっくりと頷いた。
「……わかった。呑もう――約束だ」
今は夫婦別姓も認められている。籍を入れてしまえば、名前が何でも問題はない
はずだ。
結婚は、してあげてください。私からの餞別です。
 仕事が始まる。
――建造が始まってしまえば、この室長の仕事はある程度終わり。あとは企画
部長の吉田と、新たな現場担当者に引き継がれるだろうが、しばらくは、短く
ない付き合いになるだろう。
「父さん――」葉子は一歩近づいて、手を差し出した。
先ほど拒否した握手だ。
 四郎が近づいて、両方の手を取り、握らせた。
ふと見上げて、また父親の顔を見る。
「さようなら――良い仕事をしましょう」
「あぁ。……お前は、良い娘だったな」

 新たなスタートと、そして訣別だ。
また別の気持ちで、この人と出逢うことがあるのだろうか。
今はただ、ここまでの想いを終らせてしまうのみ。
――ヤマトの仲間が与えてくれた命と自信。そして、四郎が居てくれる。
 ふと思いついて。
 「向こうのかた――何ておっしゃるの?」
「…祥子さちこ――と言う」
「苗字は?」
「珠川…」
「そう」
それと。言いにくいが――娘…お前の義妹いもうとが、一人。
え、とやはり葉子は驚いて。
彩香あやか、というんだ――」
すまん、と誰に言うともなく顔を伏せて。

 「行くわ――元気で」
 未練なく立ち去ろうとして葉子は言った。
「良い仕事を、しましょう」
「あぁ。感謝してるよ」と父は力なく、それでも娘に対する愛情はあるのだと
わかる目をしていた――と四郎には見えた。
葉子は、四郎と2人ながらに、部屋を辞しようと背を向ける。
 「ありがとう――加藤くん。……葉子」
彼の声がそれを追った。


   新造戦艦アクエリアスが、艦隊旗艦として就航するのは、それから1年半の
のちになる。旗艦総司令艦長として古代進が就任し、5隻で組む太陽系外周艦隊
としてその任に就いた。
佐々葉子はその護衛艦イサスに戦闘機隊副官として乗艦、以降、10年以上を艦
とともに、古代とともに働くこととなる――。
 そして。

 数年ののち。
 加藤四郎と佐々葉子の間に生まれた子は。加藤大輔、と命名されている。

【End】
綾乃
−−13 Jun,2006
 
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