air icon 明けない夜 −after sunset−



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 ぷん、とセーターの匂いとその向こうで香る体臭が鼻についた。

 ゾクりとするものがあって、悲しみとも慟哭ともつかぬものが体内を蠢く。
このひとになら、なんでも言えたんだ――。
 あの時、俺が泣くのを、この人は黙って慰めてくれた――。
そう思うと、体が蠢くのを、どうすることもできなかった。
精神が落ち込み、闇ばかりを覗くようになると――そこから這い上がるためには
体温が欲しかった。温もりと、そして研ぎ澄まされた感覚、妙に冴えた神経――
すると、欲望がたぎった。戦っている頃はそんなことなかった。 えいと離れていても、
見境もなくさかることもなければ、欲求不満に陥ったこともない。
だが。――睡眠も休養も、十分に取ることができず、ただ命のギリギリを絞って、
隣で座っているヤツが次の瞬間血まみれで吹き飛んでも、その中で。ただひた
すら撃ち続ける……その興奮と、似ていた。
 すべてを失い――何をしても。満たされることがない。
この空漠を――誰が、どうすれば、埋められる?

 堕ちたい――いっそ、堕ちてしまいたい。
 そんな苦しさを。

 宮本の、華奢とはいわないまでも戦闘士官としては若干細めの体と、独特の
体臭が鼻に来て、顔を上げるのが恐ろしかった。
ただ、甘えていたかった――それだけなのに。
このひとなら、本当の最初から知っていてくれたこのひとになら。 預けてしまえる
心を、開放して――そうして俺は、どうしたい?
 英。――英、ごめん。
俺は、弱い。――お前を思って生きるなんて。カッコつけても無理なんだ。

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 「英――」
いつの間にか口に出していたのだろう。
その掠れた声と、切なげな響きが耳に入った時、宮本は抱きしめていた腕を掴
み直し、そのまま顎を捉えて手でずり上げた。
 いかつい顔と童顔のアンバランスが、豊橋らしい。目が潤み、まるで子どもの
ような顔をして。
唇に唇が触れる――それを相手が求めているかどうかは別として。
 ましてや相手は……そういう性向の持ち主で。キスなどしてしまえば、当然、
それだけで収めるのは酷というものだろう。
ゆっくりと唇を触れると、乾いた感触が伝わってきた。
 次の瞬間には、まるで獣のように触れてきた舌に絡められて、飢えた者のよう
に、求められた。手が頬を這い、探していたものを見つけたとでもいうような激し
さで。
「みやもと……さん」零れる言葉に、答えるかわりに口付けを返す。同じだから
――男も、女も、だ。
「――ひどい、ですよ……これ、呉れたら。俺、我慢できない…」
 言葉の通り、体は震えていたが、劣情が襲っているのは下半身の触れた感触
ではっきりわかった。
「――慰めて、ほしいか?」「――無理、です……貴方には」
言葉とは裏腹に、手は宮本を求め、その肌を求め、くちづけを求め……まるで
母親を慕う子のように。豊橋の心は、癒しを求め、体は貪欲に目の前にいる相手
を求めているのだ。
 男と寝たことがないわけではない。
軍隊にいれば、そういうことはままあるし、もともと宮本は好意を持てば節操は
無い方だ。それで相手が家庭持ちだったり上官だったりしてヤバい目に遭いそう
になったことも無いではなかった(。上官の妻、というヤツにだけは手を出さな
かった……誘惑は多かったが)。
 「――俺は、ヤられる方は、好きじゃない」
「……」
ただ、すがっていたいのだと。そうとでもいうように、体を寄せ、頬に寄
せていた唇が顎から首筋へ這った。「――セーター、脱いで…」
手を裾に割りいれて、脱がそうとする。するりとそれを首から脱ぎ捨てると、こ
んどはその下のシャツのボタンに手を伸ばした。
「本気、か――」
 触らせて。
そうだけ言うと、ボタンを取り、その内側に掌を滑らせる。
――くっ……。
かすかで微妙な刺激に、体が震えた。
(至――)
身体でその体重を柔らかく受け止めて、そのまま床に転がると案外に清潔な毛
足の長いマットレスに頭が沈んだ。かすかな感触に手を触れてみると、柔らかな
髪が手と首筋とに触れ、そのまま宮本は手で頭を掴むと、ぐいと自分の方に引き
寄せた――。
 「なぁ、至――」
性急に手で身体を撫で回していた豊橋は、ふと暗い洞窟の奥のような瞳を上げ
た。「誰も――あいつの代わりなんか、できないんだぞ」
 う、と涙がこみ上げるような、心細げな顔をして。そんなことはわかっている、と
でもいいたげに、彼は首を伸ばして唇を塞ぎに来た。
「――貴方は、ひどい人だ――俺を、どうする気ですか」
唇の横で囁きながら、まだ迷うように頬を撫でる手が痺れを生んだ。
「……ひどい、か」くすりと笑った宮本に哀しそうな目を豊橋は向けた。「…確か
にな。だが俺はこれでも、お前たちを、大事にしてたつもりだがな」
く、と手にしたシャツを掴むと彼は首を強く振った。
「……わか…てます。わかって、る。あんたは誰より優しかった――俺のこれが
甘えてるだけだ……て、わか……」嗚咽がこみ上げて身体を離し逃げようとする
のを、宮本は咄嗟に強い力で掴んだ。
「はな……して」
涙声で避けようとするのを、ぐい、と引っ張って腕に抱きこんだ。

 床に座り込むような格好で、抱き合って。
しばらく髪を撫で、抱え込み。柔らかく抱き込んではいたものの、それを振り払
って抜け出すことはできない程度には拘束して――おそらく腕力は豊橋の方が
強かっただろうが、寸法と――なにより実戦経験の差がものを言う。簡単に振
り切られるはずはなかった。
――それに豊橋は、そうするつもりもなかったのだろう。

 そのまま。
ゆっくりと宮本の指が髪と首の間に差し込まれ、そこを撫でると、彼は何かに耐
えるように目を閉じてかすかに上を向いた。
「――ここ、好きか?」答えないのを承知でそこに顔を近づけて、息を吹きかけ、
また舌で嬲った。
腕を掴んでいた指が、ぐっと力を入れるのを宮本は感じると、そこをゆっくり、丁
寧に吸った。
 あ……。
かすかに上げた声が思わぬほど色っぽかったので、宮本はゾクりと背を何かが
突き抜けるのを感じていた。
(俺も、そのがあったのかな――)
そんなはずはない。だが…自分は女好きだが、ガチガチのヘテロセクシャルと
いうわけでもないのだ。……それは、吉岡も、豊橋こいつも、知らないことだった。

 (俺が吉岡を憎からず思っていたことは――知らないはずだがな)
頭ではわからず、心でも受け止めていたわけではないにしても。愛する者の勘。
どこか奥底の方で知っていたのではないかと思う……だからこそ、こいつは俺
に、なつく。
 「脱げよ――」
身体を離して、宮本の与える快感を享受していたらしいヤツが驚いた目で見る
のを、冷静に見返し、見上げて、もう一度言った。「――脱げ。抱いてやる」
 絶句したように目を見開いて。
次に、その言われた意味を理解すると、ゆっくり足の間から立ち上がった。
そのまま腕を引いて、俺を立たせた。――奥の部屋へいざなおうとして。

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背景 by Kigen 様

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