- moon light sonata -


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sord clip


= 4 =



 その日の出頭は不要といわれた古河だったが、夜になってやってきた。
何か胸騒ぎがしたこともある。佐々の様子があまりで気になったのだ。
彼はまっすぐ該当部署へ向かい、そこで見てしまった――。
 出口にほど近い一角――あまり人の通らないBブロックの影で、もみ合う男女の姿を。
壁際に押さえつけられているのは、あれは……。


 頭より体が先に動いた。


古河は当分の間、ということで帯銃を許されていない。夢中になって警戒を怠っていた男に 飛び掛って殴りつけ、腕をねじり上げたときには首筋にナイフを突きつけていた。
 佐々は怯えたように機材の影でごそりと動くと少し破れた上半身の襟元を合わせて 立ちすくんでいる。
 「佐々、あっちへ行ってろ――できれば、そのまま帰れ」
古河には珍しい口調だった。佐々は首を振ると
「やめて……古河」と小さな声で言ったがそれは常になく弱弱しい。
「行ってろ! といったっ」
命令だった。
 佐々も初めて聞く口調だ。――2人の関係性においてあり得ない。
「……あんたが、心配、なんだよ」
「無用」
「古河…」
「早く、行けっ」
 佐々は素直に従った。背を向けると襟元を合わせたまま、少し足をひきずってその場を去る。


 それを力を緩めることなく見送ると古河はさらにその後ろにねじった腕を締め上げた。
「――俺は、言ったはずだな」
彼がその力を込めてぎりぎりと締め上げると中條は目をむいた。片手が喉にかかり、 ツブさないギリギリを締める――そんなことは接近戦の基本で、古河はそれに精通していた。
 元来小柄で、体の大きな人間には不要ともいえる技を彼は数多く身につけていた。 皆、勝ち残り、生きるために、である。
「……い、いき」が出来ない、といいたかったのだろうが、声が出なかった。


 古河のナイフはそのまま硬直している下半身へ下がる。
「――これを、切り落とされたいか」
服の上から男の急所をナイフで触ると、恐怖感と同時にぞわぞわとした感覚が背を這った。 目だけを下に向けてみようとするが、首を締め上げられ、動きが取れない。
 「や、やめろ……やめてくれ」
「俺は、本気だ」
――本気なのはわかっていた。


 佐々を襲っているように見えたのだ。キスされて上半身を脱がされかかっていた (ように見えた)。実際にそうだったのか未遂だったのかは暗くてわからなかったが、 古河にとって許せる範囲を越えていた。
――胸騒ぎ、はこれだったのだ。やはり、口約束など信用できない。
 本当に、切り落としてやろうかと思った。――自分もやられそうになったことだ。 それがどれだけの痛みを伴い、どれだけヒトとしての恐怖を味わうかは身にしみて 知っている。
 だが……そんな価値があるか?
――まぁ俺はどうなってもいい。自棄ではない、本気だ。


 手の中の男はガクガクと震えていた。チカラに訴えれば組しやすい相手だと見切っている。 暴力には弱いのだ――エリートの欠点だった。
目を、えぐってやろうかとも思い、ぐいとナイフを近づける。
 「選べ――ここ(・・)切り取られるのと、目、えぐられるのとどっちがいい」
低く、凄みのある声だった。


 (本気だ……)
失禁しそうな感覚が覆い、実際に漏らしてもいたかもしれない。
少し緩められた喉からひぃっというような空気と、ごほごほと咳が漏れた。
 苦しく、恐ろしく、ただプライドだけが泣き喚き許しを請いたい気持ちを押さえ込んでいる。 ここは本部の中だ――誰か通りかかった時にそれはあまりの結果を招くと思うのが 最後のプライドだった。だが、誰か通りかかってくれ……頼む。

 望み薄だった。
 人通りもまばらな時間帯。本通から少し逸れた曲がった先。距離はたいしたことはないのに 其処へ彼女を連れてきたのもその思惑があったからなのだ。
――こいつはどうやってそれを見つけたのだ!?


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 冷たい沈黙が落ちたが、それは実際にはごく短い時間だった。
「詫びろ――今後、二度と佐々に手を出すな。二度と、不必要な重荷に晒すようなら、 訴えるぞ……その間のデータなど残ってるんだからな」
 古河は同僚に頼み、佐々を監視してもらっていた。
中條に監視をつければすぐにバレただろうが、彼女を監視するというのは盲点だ。 本部しょくばにいる間だけでいい、 その業務内容は記録を取っておいてくれ――それだけならなんらスパイ行為でもなく、犯罪性もない。 調べる方も不審にも思わなかったのだ。
 だが中條は諦め切れなかった。――こうなればプライドの問題だった。男としての。
ほかに方法はないか――もっと効果的な方法だ。
こういった男の常で、女は一度モノにすれば意のままになる――少なくともこちらの味方にできる、 と思い込んでいる。またそんな女ばかりと付き合ってきたこともあるが。
(ほえづら、かくなよ)
 佐々と古河の間に男女の関係がないことは、中條には推測がついていた。


 古河はそれを見抜いた。
「わからねぇ、ようだな」
顔の前からナイフを離すと、すいと振り上げた。何の表情もなく、 何かを遂行するというようにも見えずに、だった。


 焼けたような感覚があって、次の瞬間、自分のものとも思われない声が喉から漏れた。
あ、熱い――ナイフを使われた――指を切り落とされた、と知ったのは次の瞬間で、 痛みでのたうちまわる頃には、目の前にぽとりとその切り落とされたものが落ち、
「早く行くんだな、QQは呼んでおいてやる。すぐ行けばつながるさ」と言って、
「おまけだ」と次の瞬間、顔の横にも痛みを感じた。
――耳を削がれたのである。
古河は冷静にそれをこなすと、笑ったように思われ、そのまま気を失っていた。


 現在の発達した生体医学をもってすれば、きれいに切断された指をくっつけて 再生することはさほど難しいことではなかった。 神経がつながり、感覚が戻るのに一月ほどかかるということと、削がれたのは耳たぶで、 機能に影響がないように冷静に痛みのツボだけを刺激する、という高等技が使われていた。
 それだけ、古河は冷静で――身体構造に詳しく、しかもそれを迷いもせず実行した。 本部の中で、平時に、である。
……噂を抑えることはできなかったろう。
彼の常の様子と――“何を考えているかわかりにくいヤツ”という風評は、 この頃から広まったのかもしれなかった。


 “佐々葉子を巡る男同士の争い――”そうはならなかったのは双方でそれをツブす動きが あったからだ。


 古河はQQに中條が運ばれるのを影から確認すると、その足で出頭した。
――傷害に使ったナイフを差し出し
「再収監してくれ」と、基地の管理官に申し出た。
 管理官は公正な男だった――古河とは知己でもある。
 だが。……彼はまた古河大地の人となりについても推測しており、裁判や公判送りにする前に、 一本の私的な連絡を取った。


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 古代進がその連絡を受けたのはその夜のうち。たまたま官舎じたくに戻っており、 その意味では古河も管理官も幸運ラッキーだったといえる。
古代はシークレットで回線で話し合った。


 「なんですって!? 古河が、ですか?」
相手は頷く。
「病院からも連絡が来たため事が公になるのは避けられない。軍刑務所から出たばかりだ。 罪も軽くはないだろう」
 自首してきたとはいえ傷害罪であり、暴行を加えた相手は直属の上官だ。本人は、 刑務所へ放り込まれたことへの腹いせだと主張しているが、そんなことで動く相手では なかろうと彼は言い、古代は頷いた。通信を切り、折り返すから少し待てと伝える。 そこへユキが顔を出した。「――あなた……お客様が」
 佐々葉子だった。


 「しばらく2人にしてくれ」「ユキ、済まない」
そう言う親友の姿が、あまりに痛々しくてユキは目を疑った。
――葉子、いったいどうしたの? 口元まで出かかった言葉を呑みこみ、古代が書斎へ促す。 古代には先ほどの件と、夜になって彼女が訪ねてきたことが無関係とは思われなかった。


 なるべく人には知られたくない――ヤマトの仲間には特に。


 そう前置きしたあと、佐々は簡単に事情を話した。彼女も詳しいことは知らず、 推測も混じる、古河の胸の裡だけで決められ、行なわれたことだったからだ。だが、 なんとか罪を減じ、極刑だけは。泣きそうな顔で訴える佐々に、古代は「できるか どうか…やれることはやってみる」としか答えられなかった。
 古代進も、ヤマトの仲間で親しかった古河大地が軍刑務所に収監されたという連絡を受け、 その直後から驚いてあちこち調べた。その裏事情もある程度はつかんでいたから、 さらにその罪を挽回するどころかさらに重ねるような行動に出たことに強い意志を 感じないわけにはいかなかった。
 古代進が現・地球防衛軍の中でどのくらいの実力ちからを実質持っているのか、 自身もあまり理解していない。それに正義感の強い彼は法規制を曲げても 情に従おうというつもりはない――彼はまがりなりにも佐官であり、 軍の司令官の一人だった。
(何故、こんな事態になる前に……相談してくれないっ)
古代はギリと拳を握った。…だが今はできることをするしかない。
 どちらが本当に正しいのか、法だけでは裁ききれないこともまた事実――それを何より 体現してきたのは古代自身であり――彼の深い愛情は、その乗組員や仲間には常に向けられている。
だが、罪は罪。そういった意味では古代もまた、その法の許に拘束される身なのだ。


 「――半殺し、なのか?」
ううん、と佐々は首を振った。正確には知らなかった。その場から離されたのだ。
 古河を助けるには仕方なかったのだという。その場に彼女がいたら、騒ぎが大きくなるのは 目に見えていたため、敢えて彼の指示に従ったといっていた。
 古代は頷いて約束した。――悪いようにはしない…いや、俺に出来る限りの努力はする。 だが、ある程度の罪状は覚悟しろ、と。
「それにな」
佐々はすがるように古代を見返した。
「――お前が元気になることだ。そうでなければあいつの行為が無駄になる」
「だけど……なんで。そんなこと……私が、いけない」
「泣くなよ――泣くのは加藤の前だけにしておけ」
「……だけど」
「なるべく正確な情報は入れてやる。それに……もともとの原因になったソッチは、 俺にでもなんとかなると思うさ。なに、所詮其処にいるのも長いことではない。 それを早めるだけだ」
「古代……」
「明日はゆっくり休め。ユキに頼んで届けを出しておいてやる。出てくるなよ――呼び出されるまではな」
こくりと佐々は頷き、退去していった。


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 古代は管理官に連絡を返す前に、幾本かメールをし、電話をかけた。
そうして再び彼につなぎ、事情を知った。


 ――指を切り落とし、耳を削いだ!? なんてやつだ。
古河が何故、そのような残酷ともいえる行動を迷わず取れるか。古代個人には理解できない。 だがその冷静さと熱さを古代はまた愛していた。――古河。助けてやる、なんとかな。
 古代は再び通信機を取った。


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