放課後

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 「佐々さん」
図書室で英語学のテキストと格闘していると、声をかけられた。
見れば間下仁志である。
すうっと隣の空いている椅子に座り込む。――ちょっと寄りすぎ。
「何か話?」と振り返って。
「君、僕のことどのくらい知ってるの?」
あぁ? と葉子は思った。――おそらく、と推測していることはある。
だがそれを確認しようという気もないし、周りが騒がないということは、本人も
あまりオープンにしたくないのだろう、と。敢えて詮索する気もない。
「聞いたことしか、知らないよ」と返して。
「そうか…残念だな。興味は持ってくれないんだ」
と歳相応の口調が新鮮――普段周りに居る若者たちは、こういう話し方は
しないから。成績優秀かもしれないが、甘ったれの世間知らずだな――葉子
はそう断定した。

「君が」とつい年下を呼ぶ口調になる。「AGEHAの親族だということか?」
意地悪を言ってみたくなってぶつけてみた。
 目が見開いて。「そりゃ光栄だな――興味を持ってくれたんですね」
そういうことを知っていることが本人への興味につながるのかどうかは疑問
だが。近づいてくる者の素性や背景を調べるのはすでにクセになっている。
が、まさかこの大学内で、そういう羽目になるとは思わなかった。
 最初は、揚羽に似ている――どことなく面差しが。と思ったのがきっかけ
だった。だが、あの、純粋で真っ直ぐだった若者に比べ、この青年は少し
違う雰囲気を持っていた。
 「用件がそれだけなら、宿題急ぐんだけど」
と葉子はもう興味を失ってテキストに戻った。
そこでしつこくするほどバカではなかったのか、間下はすっと席を立つと
部屋を出ていった。
彼の思惑がどこにあるのか、葉子にはわからない――まさか私のことも?
知っていたとしても不思議はないが。
AGEHAと現在、学生である彼が何らかのつながりがあるというデータはない。
従兄弟いとこだった揚羽武と仲が良かったこと、長じてヤマト配属前後くらい
から互いが近づかなくなったこと。そして現在の間下がけっしてAGEHA関係に
出入りしないこと。わかっているのはそのくらいだった。



(3)
 
 その日の放課後もまた、図書室の自習ルームに行く前にちょっとお茶しよう、
と研究室近くのカフェに溜まっている3人。これに最近よく間下が来る。
「間下ぁ、ゆかりが探してたわよ、あっちで待ってるって」
「あぁ…」
なんとなく気乗りしない風。一つ別のコースも併願して取っている間下は、確
かによく勉強はする――よく遊んでもいるみたいだが――ようで、いつも
小脇に辞書と小型のファイルリマインダーを抱えて、ヒマさえあればそれを拡
げていた。
 事が起こったのはその時だった。

 Wuiiiin…と音がして、入り口の扉が開くと、一人の男が立っている。
「た、助けて…」
見れば女子学生を拉致し、小脇に抱えて銃がその眉間には当てられていた。
――ゆかり、と3人は立ち上がりかけ腰を浮かすのを佐々は、しっ、と手で
抑えて。
「ここに、間下仁志はいるか!」
大声でその男は呼ばわった。
食堂と異なり大して広いわけではない学塔のカフェである。
部屋に居た者は10数人。それぞれが蒼白になったり立ち上がったり、固まっ
て入り口の方を見ていた。
「…た、助けて」
もう一度弱々しい声でゆかりがつぶやいて。
 「間下――」涼子が彼を見やる。
「あ、あぁ……」
と間下が顔を上げるのに
「出て来い! ここにいるのはわかっているんだ。出てこないと、このお嬢
さんがどうなるか、わかるか」
男はゆかりの眉間から銃を外すと、室内に向けて撃った。
 テーブルの上に置かれていた花瓶に当たり、花と水が四散した。
「きゃぁ〜!」「うわぁ〜」と近くにいた学生たちが走り出すのに
「動くな!」と男の声がする。
ばらばらと、うしろから数人が室内へ侵入し、学生たちの行く手を阻んだ。

 「間下。間下仁志――恋人を見殺しにするか…出てこい」
のろのろと立ち上がり、間下は仕方なくそちらを向いた。
「こっちへ来い――俺たちが用があるのはお前だ」
 「なら、ほかの人は解放したらどう? 関係ないんでしょ」
涼子が立ち上がって、抗議しようとするのを、和枝が震えながら止めた。
「や、やめなさいよ――興奮させて、殺されるわよ……」
 間下はがくがくと震えている。が、さすがにそこで知らぬ顔を決め込むほど
卑怯者でもなかったので、震える声ながらも口を開いた。
「どう、しろって…いうんだ」
小さな声だ。
「こっちへ、来い」
とリーダーらしい男が手招きする。ゆかりは涙をいっぱいに浮かべた目で
その間下を見つめていた。助けて、と口が言葉を形作る。
 「言っておくが――叔父に僕の命を楯に何か要求しても無駄だぞ……」
犯人に十分近づいたところで間下はそう言った。
それだけは言っておかなければならない、だって、助けてくれるとは思えない
から…。
「ほう。それは試してみないとわからないさ。…ダメならお前たちの命が無く
なるだけだ」
「……」
震えながらも何とかそれに耐えようとしている学生の間下。

 机の隅からその様子を、なるべく犯人と目線を合わせないようにしながら、
佐々は、隙を窺っていた。涼子と和枝に静かにするように手で制する。
2人は驚いた。葉子の目が――ひどく冷静だったからだ。
(どうするか……信号は発したが……あいつら、どこへ向かう気か…ここへ
立てこもるのか…)
スクランブルは手首のベルトに仕込まれたコスモメーターからすでに発信して
あった。毎日、構内へ入る時に武器は特別室へ預けてきてしまうので、現在
手許には何も持っていない。
SPも必要がない――それだけ大学内のセキュリティは万全で、どんな立場
の者も、たとえ敵対する関係の惑星間であっても、自由に学業を学び研究を
することができるのが連邦大学の特徴なのだ。
だがまだ、それは万全ではないということか。
「どっちが先か、けっこう問題だな」
ぼそりと小さな声でつぶやいた佐々に、え、と和枝が耳を立てた。
いや、こちらのこと。
(軍か――警察か。管轄からいけば軍が来る――だがその前に警察が到着
してしまうと…少々やっかいなことになる)

 1分経った。
 間下を手に入れた犯人たちは手許に2人だけを拘束し、あとのメンバーが
部屋に入って占拠した。ぐすぐすと泣き始める女子もいたが、震えながらも
3か所に固められて場所を移動させられる。
(救助が来るのに3分――彼らを確保して、拘束するのはどうしたら
いいか…)
目まぐるしく頭が働く。こういうシーンは慣れていない、が、テロの目標にさ
れることも少なくない長官や参謀、真田や古代らと付き合っていれば、イヤ
でも場数は踏むことになるのだ。
 一番奥――窓側の席にいた佐々たちは。
 葉子は、余分なものを身の回りから外すと、ゆっくりと動いた。


 「ほぉ――それなら甥御さんの命がどうなっても、良いと」
途切れ途切れに、リーダーが交渉しているらしい声が聞こえてくる。
案の定、防衛軍に敵対するどこかの陣営が、AGEHAを手中にしようとしての
侵入劇だったようだ。――現在、AGEHAと軍のつながりはさほど強くない。
NANBUが圧倒的で、あとは新興の数社で分け合っているが、ナンバー2とし
ての地位をAGEHAが保っていることは確かだった。むしろ政治向きとのつな
がりは強い――ここを思うようにできれば、と、何らかの目的を持つ者たちが
考えても不思議ではないくらいの地位は保っている。
 佐々は、目下の窓から機動部隊が屋内に侵入したのを目の端に捉えて
いた。特殊な電波でチカりと下へ合図するのを受け取っただろうか。
…彼らを信頼することにした−−危険な賭けだけれども。
 そして。
 「あ……」
と言って佐々は机の上にあったコップを倒す。飲み残しが飛び散り、彼女は
滑ったふりをしてその場に転倒した。
「どうした!」
 鋭い一瞥が犯人たちから告げられる。
とその瞬間。
机の下から二つの指弾が目を襲った。それは正確に間下と菅沼を拘束して
いた2人の目と顔に当たり、相手は一瞬怯んだ。
 声も立てずするりと床を1回転して立ち上がり様に目を押さえて呻いている
男からあっという間に銃を奪うと、その男をけり倒し、返す銃身で間下の傍に
いた犯人を殴り間下を銃の弾道から横へ突き飛ばした。
佐々は振り向きざま級友たちを背に庇い、隅に立って銃を構えていたグループ
の2人を一瞬で射抜き、続けて別の位置に立っていた男をというところで
「動くなっ!」
通路から声が響いて、あっという間に武装した数人が室内になだれ込み、2人
を確保する。佐々が3人目に狙いをつけた時にはなだれ込んできた面々が
犯人たちを確保していた。
慣れぬ銃…急所は外したつもりだが、多勢に無勢ではこの際、考えてはいら
れなかった。

ふぅと息をつく。
(スカートで立ち回りってのは勘弁してほしいな――)
ひらんとした裾のほこりを払いながら立ち上がる。
と、制服の一人が近づいて、敬礼した。顔見知りの少尉である。
防衛軍の一般部の面々とわかった。
敬礼を返し、「遅いぞ――」と言うと
「はっ。お怪我はありませんでしたか」と緊張して返された。
「大丈夫だ――2人は怪我などしてないか」
「はいっ」と言うに。佐々が目で促すと、ここではこの少尉が最も階位
が上なのだろう、室内に向かって言った。
「お騒がせしましたが、犯人は拘束いたしました――外も鎮圧いたし
ましたので、もう危険はありません。後始末をいたしますので、よろし
ければお引取りください」
 背後にいるはずの級友たちには敢えて目を向けなかった。佐々中尉。
この場を仕切らなければならないのは、自分である。
(連邦大のセキュリティも見直さなければならない−−)
またそれだけ切羽詰った何かが起こっているのかもしれなかった。

 少し遅れて、そこへ警察らしき者たちが顔を出していた。
少尉に目配せして(間に合ってよかったな)という意味で。
その場を先に仕切った方に主導権があるのは現場の鉄則だ。民事警察が
先に到着していたら佐々が採ったような乱暴な方法は難しく、下手を
すれば長期戦−−立てこもりに発展したかもしれなかった。
きわめて迅速にかけつけた少尉たちにも分がある。
 「あ、ちょっと待ちたまえ。事情を聴取したいが――」
というところへ少尉が向き直って「では、出口で所属とご連絡先を書いてく
ださい。ご協力いただければ幸いです」と言った。

 その様子を見て、ご苦労と敬礼を返そうとしたところまでは憶えている。
「葉子!」「きゃぁ〜」という叫び声のようなものを遠くで聞いたような気が
して――そのまま気を失っていた。
 
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