airアイコン 火星の誘惑

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(1)

 「加藤、四郎さんですね――」
一礼したあと、書類を手渡されながら、その女性は言った。
……歳の頃は20歳はたちすぎだろうか? 落ち着いた物腰と、だが目の強い
光ははっきりした意思がその魂に宿っているのを感じさせる。印象的な女性ひと
――誰かに似てるな? 誰だろう。
女性を見て心動かされることは、無いわけではないが、あまり多いわけでも
ない。
いつも心の中に1人の人を想い続けている男としては。
四郎はその、自分の気持ちの動きように、興味を持った。
「5日ほど、お世話になります。どうぞよろしく」
と頭を下げると、基地の事務官だというその女性は
「塚原室長の秘書兼、当プロジェクトの事務官を勤めます、国枝です」
そう挨拶した。「お噂はかねがね…」と言って、綺麗な笑顔で笑う。
印象的な、目。

 「ご案内しますね」
新プロジェクトのため、寄航した火星基地。再編成された地球防衛軍の本拠
地は、木星の衛星ガニメデ、火星、地球の3箇所に置かれ、また艦載機隊は
月基地が統べる。訓練施設は地球のほか、火星・月に置かれているのは従来
どおりだ。
「実戦的艦載機隊の効率よい利用法や設備などには、加藤隊長のご意見がど
うしても必要、ということになりまして」
ヤマトの元生き残りメンバーとして、坂本先輩とともに呼ばれている。
坂本茂と共に仕事をするのは初めてだったが、訓練学校時代によく姿は見
かけたし、ヤマトの先任でもあり、なかなか刺激的な経験になるかもしれな
かった。
坂本と合流し、簡単なミーティング。
様々な手続きを代行していきつつ、解説を加えるのは彼女の役割らしい。
事務官としては有能なのだろう、プロジェクト全体のリレーションを円滑に
するためのアシスタント、とはいえ、機密事項を扱っているものをここまで
把握しているとなればその立場も知れよう。だが何かと四郎を意識している
風を隠そうともしない。初対面からずいぶん絡んでくるな、という印象を持
った――。

 通路に出てから
「名前はなんての?」
女の子には手が早いという噂の坂本。
「食事でもしない? 今日。お近づきにさ――もちろん、こいつも一緒に」
人懐っこく豪放なので、それなりに人気者の坂本である。特定の彼女がいな
い、ということも噂に拍車をかける。
にっこり笑って
「それは光栄ですけど――坂本茂さん、でしたよね」と煙に巻かれた。
明らかに、四郎の方をチラリと見ながら。
 「ひょぉ」
坂本が四郎を見て、口を吹いた。
「お嬢さん、こいつ、女房持ちだからね――コナかけても無駄だよ?
俺にしときなって」
「先輩、やめてくださいよ」
坂本の軽口はいつものこと、らしい。彼女はにこりと笑って。
「あら――存じ上げてますわ。熱愛の恋人――でも、まるで織姫と彦星」
うふふ、と見上げて笑うのは、先ほどまでのきりっとした様子と違って女の
顔を見せた。
 (あ――)
そうか。
葉子と印象がかぶるのだ。
……彼女はこんなに女っぽくはないし、男に興味のある様子など自分から見
せることはない。だけれど。この、強い雰囲気と――それと、口許の印象。
ぼぉっと見つめてしまった。
坂本はひょい、と首をすくめると、まぁうまくやんな、と言って去っていっ
た。


 宿舎は基地から少し離れたタウンのはずれにある。
悪くないホテルだな――と四郎は思う。
プロジェクトで泊り込む場合、ひどい時は使用されていない官舎ということ
もあり、そうなれば自炊はしなきゃならないし仕事は忙しい(夜までの打ち
合わせや先方との折衝、または会食などで自分の時間はほとんど取れない)、
設備は不十分、ということもよくあるからだ。
(さすが、内惑星だな――)常に外惑星とを往復する艦隊勤務者には、そう
思われた。
りん、と呼び出しのベルがなる。――室内電話か。珍しい。
「はい」
と出ると、『私です――おくつろぎのところ、すみません』
(国枝さん――)
『お食事でもいかがですか…火星にも、良いところはありますのよ』
またいきなりなお誘いだなと思う。はぁと言葉を濁すと。
『せっかちだと思われて嫌われるのはイヤですけれども――日にちもあまり無
いですし、プロジェクトの成功のためにも親しくなっておくのは良いことだと』
「坂本さんは」
『先ほど出かけられましたわ――』
パワフルな先輩だなと四郎は思う。
これまでに四郎は、女性から誘いを受けたこともあれば、それなりに真剣
に思われたこともないではない。軽い気持ちで声をかけてくる女性は出先の
惑星にもいる。だけれども。普通はもう少し計算をするか、気を持たせるよ
うに振舞う。――なぜ国枝がそこまであからさまな態度を自分に対して示す
のかにも、興味があった。
「お誘いありがとうございます――なにぶん私は火星は戦後初めてですので。
助かります」
瞬時に判断し、そう答えた。


 
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