airアイコン 火星の誘惑

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これまで誰に言ったこともないことを。
何故、僕は彼女に話しているんだろう。
 最初は訓練学校の教官で――やはりヤマトの戦士だった。白色彗星戦
の生き残り、どこか必死な目をして。何だろう、あの命がけな様子は。
そう思ったのがきっかけだったろうか。
――恋人が死んだんだそうだ。(それが実の兄だとは言わなかった。)
だけれど、僕たちを叱る時に、彼女の愛情が身に沁みた。実際、訓練中の
事故で命を助けられたやつもいて――。告白したけどね、学生だったろ。
振られたよ最初は。
 まぁ。加藤さんを振るなんて――。
 仕方ないさ。彼女の前の恋人は、素晴らしい人だったから――。
 どなたでしたの?
 君の知らない人だ――同じヤマトの戦士だった。

 その後、三度の戦い。
彼女が行方不明になり、僕は必死の想いで探し続けた。やっとの思いで
探し当て、心が通じたとはいっても、恋人というには僕は力不足だった。
彼女のために、僕は大きくなろうと思ったし、ヤマトでの責任もあった――
部下の命を預かるということは、私情を超えて大きい。さすがの僕でもね、
自分の恋は捨て置くしかなかった時期もあるよ。
 幾度もの戦いの間――少しずつ彼女との距離は近くなっていったけど。
僕はいつも彼女を追っている。
放っておくと星の海へ出ていったまま、二度と戻ってこないのではないか。
そう思うことすらあるよ。腕の中に居てくれる女性ひとじゃない――まるで鳥み
たいに。

 四郎はそこで黙ってグラスを傾けた。
「その方は、貴方が思うほど、貴方のことを愛してるのかしら」
「女の人なら、普通、そう言うだろうね」
四郎は前を向いたまま続けた。
「彼女は――その育った環境から、愛されることがとても苦手だ」
その言葉を聞いた途端、は、と一瞬胸を突かれたような表情を彼女はした
が、四郎はそれに気づかなかった。
「だから――愛情は沢山持っているくせに、愛することには懸命で惜しみは
しないくせに、愛されることは苦手……求めることは諦めているみたいな処
があって。だから僕は、その分まで自分が愛していれば良いと思っている」
 四郎は笑って、傍らの女性を振り向いた。


 その笑顔がとても魅力的だと――国枝は思った。
彼女は、思惑があって四郎に声をかけたのだ。
加藤四郎が火星基地へ来る――その情報を得た時に、彼女の頭に浮かん
だこと。だが会ってみた当人は――思った以上に心惹かれるひとで、人間的
な誠実さに溢れていた。ほんの少しの時間でもそれはわかる。
噂だけではないのだ――彼の下で働いた部下たちや、共に仕事をした者を
魅了する男。……おそらく長じれば頭角を現していくのだろう――そん
な磁力を備えていた。

「女は――愛する男のためなら、自分の生き方を変えることも厭わない」
そう言う彼女も他人事のようだった。
「君は、本当にそう思うの?」信じてないというように四郎は言う。
「……それが、愛情に対して誠実だということなのではないか、と思うこと
もあります」
「僕の周りの女たちはそうは考えないだろうね、きっと」
四郎はむしろ楽しそうに言った。
「森ユキ――知ってるだろ」
「古代さんの奥さん――というより、“ヤマトの森ユキ”」
知らないはずがないだろう。
「彼女は、ヤマトの女神、古代の恋人としての方が有名だが。あれでなか
なか気が強い。自分を持った女性だよ」ふと笑った。
「…古代に従い、地球で待ち支える女に見えるだろうけど…むしろ逆だな。
言うことなんか聞きやしない。自分の意思で選び、そして古代と戦う途を
選んできた女性だ」
「お親しいのですか」
「うんそれなりに――葉子の親友でもある」
 “葉子”――そう仰いましたね。
「あぁ、すまん。女性と居る時にほかの女性の話をするのはタブーだな」
それがたとえ自分の恋人や妻のことであっても。
そういうことを言える程度には、四郎も世慣れている。

 「愛してらっしゃるのね」その恋人ひとのことを。
「あぁ……心から」
嘘は言いたくない。
「――お幸せね、その方」
「どうだろうか。……でも彼女も僕を愛している」
「信じておられるの」
「事実として――知っているだけだ」
揺らぎのなさ。「だけどそれと、常に共に居てくれるかということと、ほかに
好きな人がいるいないとは別の話」
少々面白くはなさそうに。
 その様子を見てくすりと彼女は笑った。
「安心しました」
なにが、と四郎は問い返して。
「まだ若いのに、あまりにデキすぎた気がしたから。不満や不安を持ってる
方が、人間的」と笑う。初めて四郎は、そんな彼女を素敵なだな、
と思った。
 「そういう男の人も居ると知って、安心しましたわ」
そう言って彼女は笑った。
「明日からまたよろしくお願いします」
そう言って立ち上がったところ、バーの高い椅子から降りそびれてフラりと
よろけた。
 あ、あぶない。
 咄嗟に抱きとめてしまった。
腕の中にふと包まれて、体を寄せられたように思ったのは、気のせいか?
考えすぎだろう。だが。
「――本当は、迫っちゃおと思ったんですけど、やめときます」
うふ、と笑って。
「明日から仕事しなきゃならないし――失敗したら目も当てられませんも
の」と言う様子が、かわいらしかった。
「ありがとう」と四郎も言って。「誘惑されたら、退けられる自信はない」
と言う。そんなこと言うのは逆効果だと、宮本なら言うだろうが、そこは
まだ四郎も若い。
一瞬、彼女の顔がこわばったが、素直にお礼を言い、その場を後にした。


 
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