airアイコン 火星の誘惑

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「ヤマトの人たちには、昔から憧れていました――」

 真実の重みを込めて、国枝彩香が言った言葉。
それは、そういう意味だったのだ――四郎は得心していた。


 佐々葉子の父親、佐々芙美雄は、戦艦アクエリアスを建造したMISHIO
工機の幹部である。主計官を務め、調整官として手腕を発揮し――大戦
前は金融機関に所属し、経済の動きに手を貸していた。
けっして高潔な人物とはいい難かったが。
 そして、幼い頃から、家にはいない父だった。
 多忙のため――お嬢様育ちの母はそう言って疑わなかったが、何時いつ
頃からか、別に家庭を持っているのではないか――彼女がそう知るのに
時間はかからなかったといえる。
幸せの形骸をなぞっているような家庭。
太陽膨張の熱による母の衰弱死と、そして、一昨年、10年以上ぶりの
再会――。
 葉子の中では、やっと終わりを告げ、父は新しい人生を歩んでいく。
それを許し訣別した想いがある。だが、別れ際に彼が言った言葉。
「――義妹いもうとがいる。名を、彩香といってな」鮮明に覚えていた言葉。
よもや、こんな処で、こんな仕事に就いているとは。

 騙していたわけではありません。
国枝、というのは本名です。結婚した名をそのまま使っている――貴女
が持つ、あまりにも有名な父の姓も、母の姓も名乗りたくなかったから。
 彩香は、四郎に言った。
「お義姉さん――私が加藤さんを好きなのも本当。だけれど、取ってしまっ
たら貴女はどんな顔をするかしら、と想像してみたのも、真実ほんとう
そう言って笑ったが、その顔は泣き顔のようにも見えた。
「――結局それじゃ、父と同じことをすることに、なるわ」
そう言うと、急にそれまでの強いオーラが消え、うつむいて。
そこには20歳になったばかりの若い娘の姿があった。
 葉子は四郎と顔を見合わせると。

 「ちょっと待ってていただける?」
と目顔で訊ね、四郎がうなずくと、鍵を借りて荷物を部屋に置きに行った。
すぐに戻ってきて、「上のバーで良いかしら」と言った。
こくりと頷く、彩香。


 「いつの間にか、気づいていました――父には別の家庭があって。
自分たちは“愛人”といわれる家の子だと」
彩香が言う言葉は困惑を秘めていた。
 小学生の頃だったと思います――。しかし父はいつも家に帰ってきた
ので、何故そう感じたのかわかりませんけれども。
遊星爆弾が降り始め、私は中学生になり――息を潜めるように生きた1
年間の間に……宇宙戦艦ヤマトの、憧れて子どもの希望だったあの艦に、
自分の姉にあたる人が乗っていると知ったのです――。
悔しくて…悲しくて。そして罪悪感――父がいつも家にいるということ
は、あちらの家は捨ててきたのだろうか。
父に尋ねるのも怖かったし、訊いても何も答えてくれないのはわかってい
ました。
父の本名を知った時に――貴女の名前をその中に見て……誇りに思い
また、それに比べて何でもない自分。――どんな気持ちで貴女の名を
追っていたか。
「彩香さん――」
 だから。
葉子の恋人だったから、俺に興味を持ち――できるなら、取り込みたいと
思ったのか。それほどまでに、接点を持ちたいのに、屈折していたのか。
可哀想な、娘。

 母を、許してもらえますか?
こちらの方が本当の彼女なんだろう、と四郎は感じていた。
「許すも許さないも、ない――」葉子はそう言った。
 貴女の責任ではないでしょうに――。
屈折した青春を送らなければならなかった義妹が哀れだった。
それらを切り捨ててきた自分もけっして褒められたものではないけれども。
「ごめんなさい…としか言えないけれど」葉子はゆっくりと話し始めた。
「今さら、どう言うこともないだろうし――私たちの世代がそれに囚わ
れる必要もない。私にとって、家は――捨ててきてしまったもの」
その冷たい内容に、彩香は顔を上げた。
「ヤマトに乗り、星の海に出た時に――そしてまた、いつ命が消えても
仕方のない身だから」
「お義姉さん――」
彩香はおそるおそるのように顔を上げた。
 「許していただけるの」
と葉子は優しく微笑んだ。「彩香、って呼んでもいいかしら」
「えぇ……本当は、お会いしたかったんです」少し涙ぐみながら葉子を見る
のを見て、あぁやはり、どことなく似ているなと四郎は思った。雰囲気だろ
うか――。
「…私には、血縁は居ないも同じだから――嬉しいわ」
そう言うと、柔らかく彼女を抱きしめた。
「お義姉さん――」
くすん、と涙ぐんでいるようだった。
 「憧れて……まだ会えない頃からずっと。貴女の写真、新聞の切り抜き、
ホログラフィ、みんな持ってる――あれが自慢のお姉さんなのよ、と言いた
くて、言えなかった。私の姉は地球を救った英雄なのよ、と大きな声で言い
たかったのに」
「もう言っても構わないのよ」
と、普段ならその内容の方を否定しただろう葉子は、今は優しくそう言って。
「明日――皆に紹介するわ。私の妹よ、って」
「お義姉さん――いいの?」
「当然」
四郎はそれを微笑みながら見ていた。

 父には言わないでください――。
そういう義妹に、「会うことはないわ」だからそれは貴女の方も。
私こそお願いしたいくらい。
「家を出たくて、1人で暮らしているのも確かです。いまはこの火星に」
「そう」
 軍属ではないのだそうだ。
専門オペレータであり、宇宙関係の技術の知識を持つ事務官。
重要な仕事。
「戦士になるのは無理――まずお姉さんのことを知っていた母が、もた
なかったでしょうし。ですから、宇宙へ出たい、基地で働きたいという希望
は伏せたまま、勉強して。自分の力で生きたかったから――」
「偉かったのね。凄いことよ」
えへ、と笑って。そう言うとにっこり、歳相応の笑みを見せた。

 ごめんなさい。
店を出ながら、彩香は2人に向けそう言った。
「最初は、お姉さんの恋人だから取ってやろうと思った――」
なんとなく感じていた違和感の正体はそれだったかと思った四郎である。
「でも……さすがだわ。私も、ちょっぴり……」好きになってしまった、
とは口に出せなかった。
でも、いいわ。キス二度してもらったし、と心の中で言う。
「明日、またね。2日とはいえ一緒に仕事ができる」
 葉子は嬉しそうだ。
「これからはいつでも――訪ねたり、連絡をくれて良いのよ」
と葉子は言った。
はいとうなずく彩香は、最初の印象とはずいぶんかけ離れていて。
それだけ苦労したんだろうなと四郎は同情の気持ちが沸く。
 異母姉妹きょうだいか――。
わずか6歳という歳の差を考えると、切ない。
それでも孤独だった彼女に、妹がいることが、それはそれなりに複雑な
思いではあろうけれども。
彼女が去ったエレベータを見送って、ちゅ、と額にキスした四郎である。


 
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