airアイコン 火星の誘惑

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(3)

 それからの数日間。
 目も回るほどの忙しさだった。――ひととおりの構築の終わった内容を
南部から引継ぎつつ、次の段階へ移行しなければならない。
さすがに南部は、伊達に元ヤマトの砲術長を務め、南部重工業を実家に持っ
ているわけではない。南部康雄の重機についての知識とその実践への
応用知識は、四郎が改めて驚嘆するべきものがあった。
だが、イカルスで特別訓練を受け、真田の許にいた四郎も、戦闘士官とは思
えないほどの知識を持つ――特に機関や波動エンジンについては。
波動エンジンはこの際関係なかったが、基地の機関部、戦闘・防御の考え方
については具体的な数字が飛び交いながら、現場の技術師たちと数字とシミ
ュレーションと睨めっこする毎日だった。
 それを整理し、オペレーションして組み込んでいくデータ作成作業を補佐
する国枝はじめ事務官チームもなかなか優秀といえた。


 「ようやくひと段落かな」
南部が地球へ一足先に戻り、あとは細かい部分をつめていくだけ――だがそ
れも本来なら今日終わるはずだったが、実際に始めてみると、改造した方が
良い部分もたくさんあり、南部や相原が居る間に済ませなければならない部
分が優先された。
(俺もあんまり此処でゆっくりしているわけにはいかないんだけれどーー)
 国枝は日々、親しさを増し、四郎も好意を持っていないわけではない。
素敵な女性だと思うし仕事もできるけれど、“元ヤマトの戦士”というだけな
ら南部や相原だってそうだし、――まぁ独身ということを差し置いても、な
ぜ自分にそう執着するのか、自覚もない四郎である。
「単に、好きになりました、じゃいけませんか?」
ある日、ランチタイムに突然そう言われただけで、あとは普通に仕事に戻っ
ていく。
明らかに好意を寄せているのは周りにもわかるのだが、意味深な話をしたの
は最初の夜だけで、あとはごく普通に接してくるだけに、四郎としても問い
詰めるわけにいかず、戸惑うばかりだ。
 「そりゃ加藤さん、相手の“手”、ですよ」
以前、同じ艦隊で勤務したことのある現在は火星勤務の同僚が言った。
「押してばかりだと、引かれるでしょ? 彼女、絶対、加藤さんに惚れてま
すって」
そうかなぁ? と思う四郎である。
好意を持たれているのは、わかる。当然、誰もがわかっているだろう。
だけれども――あれだけハッキリ、言ったはずだ。俺には佐々葉子という恋
人がいる、と。
「関係ありませんよ、昨今の女性たちにはね。――でも、いい娘ですよ。
あまり男との噂はなかったから、男嫌いかと思ってたんですけどね」
残念だなぁ、やっぱり加藤隊長みたいないい男狙いだったのかなぁ、と言う。
「くれるっていうのならいただいちゃったら」
「ばか…そういう問題じゃないだろう」
と、軽口の中にも、けっこう彼女自身が人気があることを知った四郎だった。

「加藤さん――よければ食事でもいかがですか」
 最初の日以来。たまたまその日は帰りが一緒になった。仕事で2人ともが
残業になり、データベースをいじる必要があったからだ。それを終えての帰
り道、送っていくのは義務というものだが。
「ひと段落、しましたものね。打ち上げ」にこりと笑って、ぱっと腕を組ん
できた。
え、と驚いたが、意外にしっかり組まれてしまって――振りほどくのは失礼
な気がした。
 そのまま通用口から出て、彼女のエアカーに乗りこむ。
ホテルまでお送りしますよ、といわれて、最初に話したバーへ直接入った。
エレベータホールで――ほかに人影はなかった。
「加藤さん…」ん、と振り返る。
「やっぱり言ってしまいます――私、加藤さんが好き」
見上げる目がなんともいえない表情を作っていた――が。
「君……」
冗談、だろう? 四郎にはまだ本気にできない理由がある。
 到着したエレベータに引きずられるように乗り込むと、最上階のボタンを
押した。
扉が閉まる――。
引き寄せられるように…そして不意にキスされた。
「き、君――国枝くん」と言うかどうか、首に回された腕が顔を引き寄せて
……かわいくないわけではない。一生懸命に仕事をする姿も、その能力も。
だが――何故四郎が躊躇していたのか、彼は自分自身でも気づいていな
かった。
しかし、振り払うこともできず……かわいいと思った女性を突き飛ばすわけ
にもいかず。
自然、キスする様子は恋人同士のように見えなくもない。


 四郎の宿泊している部屋は宿泊フロアの上層部にある。
その唐突な行動について彼女は説明しようともせず、言葉少なに軽いものを
つまんで食べ、また普段のように、そして少し飲んだ。

「このまま、お別れしたくありません――」
 1両日中には、四郎はまた火星を離れる――。アクエリアスの帰還が迫っ
ていた。
だからといって、四郎は。
「僕には、愛している人がいる――」
「知っていますわ……だから?」
そう言われると、答える術はない。
 再びエレベータホールで。店で騒がれても困るので、ともかく行こう、と
外へ出た。

 当然、職務上知っていたのだろうが、1階へ行こうとした四郎の隙を着い
て、彼女は四郎の宿泊階のボタンを押していた。
扉が開き、彼女が先に下りてしまったので、
「待てよ」と四郎が追う形になり、突然振り向いた彼女に、またキスされ
そうになって…。
 男の本能か――。それとも。
 なんとなく。放っておけない気分になってしまったのは、彼女の作戦が成
功したのか、四郎が引っ掛っていたある理由の所為だったのか。
部屋へ続く廊下のスペースの一隅で。抱き合う格好になった処を…。
ふと気配を感じて振り向いた。間の悪いことに。
 「四郎……」
え、とその目が見開かれる。
(葉子さん――)
何故ここに。
何ヶ月ぶりだろう……会えた喜びと、このシチュエーションと。
腕の中にいた国枝は、するりとそこを抜け出すと、四郎の横に立つように
して、微笑み、
「初めまして」と落ち着いた声で佐々に挨拶をした。その声に、誇らしげな
響きが含まれていなかっただろうか?
 佐々は艦隊勤務の制服を着けたままだった。
「半日早く着いたのよ――お邪魔、だった……?」
自分の恋人が他所の女とキスしてたわけだから、普通は怒るシチュエーショ
ンなのだけれど、こういう問いが出てきてしまうのが佐々が佐々である所以。
別に怒っている風もないし、ただ、ぽやっとそう発しただけ。
「――葉子さんっ、これは」
四郎は慌てて彼女を押しやり、言い訳をしようと前に出るが。
「気にしないわ」
静かに、にこりと笑って腕組みをする様子は、言っている言葉の内容を裏切
っていた。葉子のそんな姿を見られただけでも、もしかしたら四郎としては
お得な気分――いや、そんなこと考える資格はないのだが。
 国枝は最初に挨拶しただけで、挑戦的な目をしながら佐々を見つめている。

 「ご挨拶するシチュエーションでもないと思うけど。…お邪魔なら、別に
部屋取るから」と佐々はあくまで四郎にそう言って、スーツケースを取ると
去ろうとする。
「ちょ、ちょっと待って」と慌てるのは四郎で、「誤解だよ、葉子さん」
何が誤解?
と、言い訳もできないのは四郎の方で。

 「お待ちになってください」
声をかけたのは国枝の方だった。
「貴女は――それで平気なの? 加藤さんは恋人なんでしょう、少なくとも。
怒るなり、責めるなりしたらどうなのよっ」
何故、彼女が泣くのだろう――どんな時にも笑みを絶やさなかった人が、佐々
を見た途端に感情を露にしたのが、四郎は不思議で――どこか違和感を覚え
ていた彼女の行動とそれはリンクしている。
「…この人の、自由」
 立ち去ろうとしていたのを振り返り、国枝に正対して佐々は言った。
「葉子さん――この人は。火星のプロジェクトで一緒に仕事をしている国枝
事務官だ」
慌てて紹介しなくても良いだろうに。
だが明日になれば職場で顔を合わす身である。
「そう――」
冷たく一瞥しながらも、にっこり笑ってしまうのは、彼女もたいがい意地が
悪い。「地球防衛軍第7外周艦隊アクエリアス所属、戦闘機隊副官佐々葉子
です――加藤がお世話になっているようで」
葉子さんも皮肉、なんか言えるんだ、と四郎は妙なことに感心をしつつ、な
んだか2人の女性を見て不思議なことに気づいた。
「火星基地システム構築部運用オペレータ兼事務官、国枝です」
まっすぐに見つめたまま、彼女はそう言った。
 何故か四郎を見る以上に、佐々を見つめる目は強い光を帯びている。気の
せいか?
佐々も何かを感じたのかもしれない。
「貴女、お名前は――」
「お聞きになりたいですか」
「ええ、ぜひ」
「国枝、彩香あやか、と申します――」
「!」
 佐々は絶句した。

 「初めまして。お義姉ねぇさん――珠川の娘の、彩香ですわ」
四郎も驚いて、傍らにいる国枝を見返した。
――すべてのことが、腑に落ちた。

 
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