【君を見つめる10の御題】より

      air icon 君は縋りたくないと言いながら。


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 ちゃぷん、という音を立てて腕を持ち上げてみる。
適温より少し温めの湯がそれに伝い、指先にしずくが形を成した。
ほぉ、と息をつきそれを眺めると、柔らかな光が満ちた室内は岩や草木の自然を模して、
さらに日光かと見まがう白色の光は懐かしい時間ときを思い起こさせることがある。
 腕はまだすらりと伸び、表面も滑らかで白い。……美しい、といえなくもない、か。
自嘲気味に自分のそれを見やり、顔を上げて湯気を感じた。
……細胞が、ゆるりと力を失っていく。
そんな気がするようになった昨今。だがそれを悔しいとも哀しいとも感じるわけではない。
ただ、(時間ときが経った――)そう思うだけだ。

 時間は、ゆっくりと。だが確実に経っていく――。

 この施設の特別なところは、こうして離れに温泉が付いていることだ。
地球で温泉に入るのが彼女は好きで――そういえば若い頃は同僚たちや、彼とよく
行ったなと思う。痛めつけられた地表――それでもその生命の源であるマグマは熱く、
その表出である熱水鉱床は失われなかったのだ――火山国・日本列島。その文化。
 ふぅ、とまた息を付いた時、ぴぃん、と微かな音が耳をついた。

 はっと見上げると、岩壁を模した一角に小さくスクリーンが開いて、表示の許可を求
めるランプが点滅した。相手を確かめ――微かに動揺する。
(来た、か――)
わずかに頷いて、画面をONにすると、そこに、懐かしい――だが、経た年月の分、年
老いた顔――加藤四郎の懐かしい顔が写った。

 『――葉子……久しぶりだね』
「あぁ……こんな格好で済まない」
入浴中だ――湯気に隠れているとはいえ、裸体であることに変わりはない。だが、そ
のようなことを気にするなかでもない、のだが。
「――逝った、のね?」
黙ったまま、じっと見つめる懐かしい――ただ懐かしいひとに、そう小さく問うた。
『あぁ……つい、先ほど。眠るように、な』
「そう――」

 その途端、どこかから臨時ニュースの音が聞こえてきた。遠く、だがキャッチできる
ほどにはハッキリと。
《地球防衛軍名誉参謀・古代進元帥が本日夕刻、地球の中央病院にて逝去されま
した――元帥は、かの第一次ガミラス大戦にて、宇宙戦艦ヤマトを――》
 まるで空耳のように。
 「――貴方は」
ん? と固い表情を崩さなかった目の前の画面の男――加藤四郎が表情を緩める。
「貴方は、大丈夫? 元気なの?」
古代が死んだことを言うのか、それとも彼自身の健康が、ということなのだろうか。
ふと、加藤はそう思った。
『――あぁ。……まぁこの年齢としだ。すっかり、というわけにはいかないが、俺は君ら
よりは大分若いからな』
淡々と、それでもその口調が四郎らしく、葉子は微笑んだ。
 少しの、心地よいともいえる沈黙が間に落ちた。
『――年を、取ったな――それでも、相変わらず、綺麗だ…』
「……何を、言ってるの。冗談もほどほどに――こんなお婆ちゃんつかまえて」
タオルでそっと体を隠し、彼女は立ち上がった。
「部屋に戻るわ。もう少し、話したい――こちらから、かける」
柔らかく、相手は微笑んだ。『あぁ……待ってる』
 す、っと画面は消え、スクリーンそのものも岩壁に吸い込まれて消えた。

 ちゃぷん。
湯が跳ねた。
(――そう。……逝ったの……)
古代進。ヤマトの古代。地球防衛軍の戦神――。そして、私たちの時代の、象徴。
 涙がつーっと頬を伝い、一筋、流れた。

 一週間ほど前、至急の便で未緒を発たせていた。危ないかもしれない、何もなけ
れば、それで戻ってくればよいのだから、と。
すでに知っていたことだった――此処を乗り切っても(乗り切れまいと知っていた
が)、あとは時間の問題だったのだ。

crecsent icon

 書斎のロッキングチェアに座り、リモコンを手に取る。
長いケープは、地球時代にはついぞ身につけたことなどない、東欧風の衣装だ。
『葉子――』
「四郎……」
画面での再会。――あれから。二人が永遠の別れを決意して、彼女が意識のない
まま地球を離れて2年が経つ。その間、画面を通じて話したのは1度だけ。
――会いたいと願ってしまうから。その肌に触れ、温みを感じたいと思ってしまうの
が、もはや別れを告げ、この先の、新しい人生で再会しようと約束した二人だったか
らだ。
 だが。
今回は特別だった――。
二人にとって、残されたわずか幾つかの大切なものの一つ。
その最も大切なものが失われたのだから――。

eden clip

 「君は縋りたくないと言いながら。

 誰かに包まれることを求めている−−本当は、寂しがりやなんだよ? 知らない
はず、ないだろう?」
突然に、古代がそんなことを言ったのは、いつだっただろう。
 おそらくヤマトが沈み、戦艦アクエリアスに搭乗してからのことだ。旅から旅、宇宙
から宇宙へ。太陽系の最外周を回りながら、四郎との間をどうしようと考えていた頃
だった。
 記憶は突然、鮮明によみがえり――あの頃の古代の表情までもが脳裏に浮かぶ。
そうだ。あれはタイタンに下りて戦闘があった後のことだった。

 「――言いたくはないけどね、今回の戦いは、だ。こうやって戻って来れたのが
奇跡だ。――俺は。俺は、ユキが居る限り、絶対に生きて帰ると決めている」
「古代――そうだろな。そりゃあんたの義務だよ」無邪気に笑う佐々。
「――笑いごとじゃないぞ? お前が死地に飛び込んで戦うから勝てるものもある。
わかってるし、お前は本当に優秀な部下で、部隊長だ――」
「古代…」
「だけどな。――命のくさびってものも必要なんだぞ?」
 うるさい。あたしは、そんな女じゃないって。
どん、と壁に手を突き、初めて古代は真剣に怒ったのだ。
「いい加減にしろっ。敢えて探せというんじゃないんだ。加藤四郎をどうする。あい
つは、待つだろう、お前を拘束なんかしやしない。お前に縛られるとも思うやつじゃ
ない。ただ、お前のことを大事に思っているだけなんだぞ」
「――古代。…わかって、る…」
その剣幕に押されて、目を丸くしながら佐々は見返し、そして顔を逸らせた。

 いいや、わかってないさ。
 一緒に、居てやれ――。

 静かな、印象的なあの声で、やつはそう言った。
目を上げて見返すと、宇宙を包括したようだと言われたその瞳が、真剣に見ていた。
あいつはお前を――それほどに、愛しているんだ。
今だけ、でもいい。居られるときだけでもいいんだ―― 一緒に、居てやれ。
 古代――。

 そのあとだった。小さな決意をして、地球に降りたのは。
このひととの幸せは、もしかして古代進のお蔭だったかもしれなかったのだ――。
小さな一押し。同僚で、戦友。同じに戦いを潜り抜け、血しぶきを上げ、空を飛んだ
あいつの言葉だったからこそ――。

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 『葉子――悲しまないでやってくれ』
その四郎が言う。……その表情のない眼差しは、おそらく誰よりも――生きている
誰よりも、もしかしたら彼は哀しんでいるのかもしれなかった。
それが、よくわかった。
こくりと彼女は頷き、微笑んだ。
その笑みは、加藤四郎に、心の底からの懐かしさと愛しさを与えた。
「あぁ――そうだな。ヤツは幸せだったんだ、お前たちに見守られて。――もうユキ
とも会ったかな」
『あぁ、きっと…』
「そうだな」
そのまま言葉が途切れ、二人はしばし見つめ合う。
 『――もう、切るな? 俺は一人でも大丈夫だ――後輩たちもいるしな。君も元気で』
「ありがとう……皆に、よろしく」
そうして、画面は切れた。

 彼女は――しばらくそのままじっと動かなかった。
 まるで眠ってでもいるように、静かな時間が流れる。

 古代進――ヤマト――皆。仲間たち――ユキ。

 ふっと意識が飛び、そのまま宇宙空間が意識野に拡がった。
このまま自分も、逝ってしまうのではないか――それもいいかもしれない、と葉子
は思ったのだ。

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 カタリと微かな音がして、それが戸口の方だと気付いた。
「――居るのか? 入っても、いいか」
あぁ、と微かに言った声が聞こえたのかどうなのか、するりと小柄な姿が近付く。
 「――葉子……大丈夫、か?」
椅子にもたれるようにして座っている葉子の背後から覆うように、彼は立ち、肩に手
を置く。そのわずかな重みに頼るように、彼女は頭をその胸にもたせかけた。
 「大地――逝ったそうだ」
「あぁ……聞いたよ」
「大地――ふる、かわ…」
再び涙が溢れ、彼女はそのまま天井を見上げた、涙が流れ、だがすぐに止まった。
 「引かれるなよ?」
「そうだな……」
背中から包み込むように、彼は立って、消えた画面を凝視する。
「加藤か? 立ち会ったんだな?」こくりと葉子は頷いた。
「――山本も、間に合ったらしい。未緒と……」
「そうか。……山本さんも、加藤もいたか――」
良かったな、古代。……そう、つぶやいた心の中は葉子には聞こえなかっただろう。
 本当は未緒について古河も行くはずだった。だが彼は断固として拒否したのだ。
(( その時、葉子の傍に誰かいた方が良い―― ))
その方が加藤も安心だろう。そしてそれは正しかったのだ――残された者の方が、
心配。

 肘掛の上に乗せた手を包み込んで、大地は言った。
「――なに、もうじき逢える。そうしたらまた向こうで、皆で、楽しくやろう。な?」
こくりとまた葉子は頷き、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 西暦2247年/宇宙暦7年――地球防衛軍元帥・古代進、逝去。
後輩たちを訪ねての軍本部訪問中、劇症を起こして倒れ、緊急入院。そのまま昏睡に
陥った。―― 一度だけ意識を取り戻し、山本明・未緒、そしてたまたま同行しており
すべてを看取った加藤四郎らに別れを告げる。
 享年67歳、まだ若い死であった。

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 それから佐々葉子は、ゆっくりと2か月を生き、静かにこの世を去った。
眠るように。
“少しずつね、消えていく感じなんだ――”
そう言って笑っていた葉子を看取った者はいない。書斎で静かに息を引き取った直後
に古河大地が傍にいただけである。
――宇宙はただ、静かに、息づいている。

Fin

――A.D.2247年 on the colony near the Ganimede
綾乃
Count016−−25 Aug, 2008


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背景画像 by 「Little Eden」様 

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★TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』をベースにした二次創作(同人)です。
ただし、オリジナル・キャラクタによるヤマト後の世界の短編ですので、ご了承ください。
★この御題は、Abandon様からお借りしています。

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