宇宙そらを見つめて

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(1)

 「多賀っ! 多賀眞菜実、いるかっ」
ワープが開けた途端、まだ新米だった眞菜実は、めったに声を荒げることのない艦
長兼航海長の声に飛び上がった。
「は、はいっ――わ、私なにか」
「何かもかにかもない。あとで部屋へ来るように」
 ふだん穏やかで柔らかな声、周りにいる人を包み込むような温かい瞳。職務で厳
しい表情をしている時はその黒曜石の瞳は奥光りするようで、班員たちの細かい所
作までを見守っているような気がする。時折、遠くを見つめる時、誰もそこまでは
ついていけないような気がして、その憂いともいえる静かさは、女性乗組員ばかり
でなく男性乗組員ですら憧れるといわれている。だが、職務上はこれ以上は無い、
というほど厳しい。最初の乗艦訓練に音を上げそうになったのは航海班だけではな
い。輸送艦とはいえ一応、乗り組んでいる戦闘班員たちに、
「さすがだな、これで戦艦じゃないっていうんだから詐欺だぜー」
とぼやかせるほどだった。
 一通りの新人訓練も終え、通常航海――とはいえ少し大きな旅だ。いくつかの
基地を周り補給箇所への資材の搬出入。
だが、艦長たちが回る場所にはそれだけではない、といわれており、この旗艦が
入港すると、どの基地も緊張する。
島大介が中央機構の審査官も兼ねているのではないか――そう噂される強いパイプ
を軍中央審議会に持っていることも確かで、現にそれまでに多くの不正や混乱が
彼の手で暴かれ粛清を加えられていた。
だがもちろん新米の眞菜実に、それはわかるようなことではない。

「多賀――島さんどうしたんだ?」
「わ、私は何も」「あんな怒ってるの見るの久しぶりだぞ」
「よっぽどまずいことやったのかね」
航法管理室にはいらっしゃらなかったから艦長室だ――出頭するだけでも気が重い
のに、脅かさないでくださいよ〜。見れば面白がっている人と心配してくれてるの
が半々。
「ま、がんばってきなよ」「気落ちしないようになー」
おたっしゃでー、と。皆。ヒトゴトだと思ってっ!
 まるで校長室に悪いことをして呼び出された、とでもいうような気分で、ドキド
キしながらエレベータを降り、艦長室へ向かう数段を上った。
「多賀です。参りましたっ」誰何すると、
「入れ」という穏やかな声が響いた。シュン、と扉が開き、入り口に立っていた
副官が振り向いた。
「では艦長、私はこれで」
「あぁ……頼むよ。次のワープ地点に気流の警報がでている。イレギュラーだが
その航路検討にかけてくれ。斉木に言えばやってくれる」
「はい早速」「急げよ」「了解しました」
 副官に敬礼をしたあと扉が閉まり、眞菜実は緊張してその場に立ち尽くした。
島はデスクの方を向いて黙ったきり、何も言わず、眞菜実をも見ない。
机から目を離すと、しばらく窓の外を眺めていた。
 沈黙が耐えられないほどになった頃――だが自分から何か言うことは許されて
いない。姿勢を崩すこともだ――というくらいは艦内における地位の上下は絶対
である。
眞菜実は自分の心臓の音が、島に聞こえるのではないかとすら思った。

 ゆっくりと振り返り、彼は眞菜実を見上げ、見つめて言った。
「多賀――自分が何故、呼ばれたか、わかるか」
わからなかった。
だが、島の口調には、わかっていなければいけないという意味が含まれているよ
うで、わかれない自分を悔しく思い、情けなさで涙が出そうになった。
それだけの説得力のある、上官。
 ため息を吐いて、島は1枚のプリントを取り出した。が、その前に言った。
「軍なんていないで、嫁にでも行ったらどうだ」
――多くの、自力で生きようと思う女性が一番言われたくないことだと島だとて
承知の上で言っているのだろう。ひとつ間違えばセクハラと取られかねず、厭味で
しかない科白が、島の口から出ると、
「お前は仕事をする資格がない」とでもいうような最後通告に聞こえた。
 …眞菜実の目が見開く。涙が溢れそうになるが、そこで泣いては女がすたる。
ぐっと堪え
「わ、私は――まだ未熟で。いろいろご迷惑をおかけすることもあるかもしれま
せんし、力が足りないのは承知しています。でも。しかし、その理由を――わか
らなくて申し訳ありません。でも、教えていただけないでしょうか」
必死で言った。
島は黙ってそのプリントを目の前に差し出した。
 見つめる眞菜実の顔色がさっと青くなる。

 「――単純な、ミスだな」
なんということだ。
初期値の時系列数値を、、、間違えるなんて。
あまりにも単純なミスだったがために、島はそれを見落としはしなかった。
「今日のワープに、君の上げたデータを利用できなかった。月から火星くらいは…
…まぁおこがましいがデータなしの手動でもやろうと思ったら飛べるんだよ、今は
込んでもないしね」
島大介ならではの科白。
地球で最初にワープ航法の操縦桿を握ったのはこの人だ。
その場所も、この、月から火星だったと皆知っている。
それ以降――輸送艦隊を指揮し、ヤマトでは戦いながら、何度この同じルートを
このひとは跳んだだろうか。
 「航法士の役割は、なんだね」
深い、怒りを込めた声が静かに響いた。
「……正確で、より効率の良い航路の割り出し。未知の空間への座標の設定」
棒読みのように、何度も何度も叩き込まれた最も最初の一文を言葉に出す。
ゆっくりと島はうなずいた。
「単純なミスほど、私は許さない――小さなミスなら、冒さずに済むだろうと思
うからだ」
「艦長――」
「航法士にとって、扱うデータはただの数字だ…だが。実際にふねを動かす
航海士や、そのデータに沿って戦闘を展開する戦闘士官たち――そして艦載機隊の
人間は。その数字が命綱なんだぞ――というのは重々承知だな」
「……はい」うつむいて、ついに、涙が零れた。
 「泣くのは外へ出てからにしてくれ」
厳しい口調を崩さないまま、艦長は言った。
島はこういう処はシビアだ。要するに女の甘えは許されない。
「はい――申し訳ありません」
ぐいと手で涙を拭い、睨みつけるように島を見返した。
失策は失策。今は落ち込むより取り返すことを考えよう。
でないと――本当に。この厳しい人には見捨てられてしまうだろう。

 ふっと島の目が緩んだ。
「いい、目だな」
笑顔、とでも言ってよいような表情になる。
――初めて見た。胸がきゅん、となった。
 「私は地球一のパイロットだの、カリスマ航海士だの言われているが――」
自嘲気味な口調で。
「私の本当の実績は、君の教官せんせいが半分は受け持ったものだ」
は、と顔を上げる眞菜実。脳裏に太田健二郎の穏やかだが峻厳な顔つきを思い浮か
べた。
「副班長としての太田のサポートがなければ、俺はヤマトであの半分の実績も上げ
られなかっただろうよ。――その前に、戦闘でヤマトは被弾し、宇宙の藻屑と消
えているさ」
島はまずヤマト時代の話をすることはない、と言われていた。
あまりに肥大したイメージと、多くの犠牲。その上に生き残り、出世といわれる位
置にいる自分。それをひけらかすこともなければ、否定もしない。
ヤマトでのことを聞くとやんわり無視されるか話題を変えられてしまう――そ
の理由は明らかではなかったが。中央に、メインスタッフに近い人ほどその傾向
があるというのは想像がつく。
だから、眞菜実は素直に驚いた。正直、もっと聞きたい。
「艦長」
「太田の能力と働きぶりは凄かったぞ――けっして仕事が速いというわけでは
なかったが、正確さと存在するデータからあるものを推測していくセンスは抜群
だった。もちろん、畠違いではあるが古代なんかのアイデアにも助けられていた処
があったが。……まるで未知の空間を行くのだ――そこに求められるのは、それ
までの膨大なデータから導き出される経験と、センスしかない。
そして策敵の時は正確さと速さ。俺と、加藤たちはどれだけそれで命拾いしたか
わからないのだからな」
太田教官せんせい――。そんなことは一言も仰ったことがなかった。
 「航法士の役割は重要だ……もちろん航海士はその訓練も受けているから、その
データを鵜呑みにしはしない。だが」
島は再び厳しい、魂の底までを抉るような目で眞菜実を見た。
「命を預けているんだ。――君には期待していた。二度目はないから、そう思えっ」
 そこまで厳しい言葉をかけられる新人が、何人いるだろう。
そんな思いは眞菜実にはない。
島大介にしても、そんなつもりはなかったが。つい、口から出てしまった。

 去ろうとして踵を返す彼女に島の声が追いかけた。
「太田の顔をツブさないように、な――」
それは柔らかく、旧友への信頼と、若い航法士への労いも込められているように
思う。
「ありがとうございます…努力します」
 そうして、艦長との最初の対峙は終わった。


 
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