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・・・2週間ごろ・澪 5歳 羽アイコン


 (……手伝うっていったって、何やったらいんだろ?)
訓練の合間に、といわれても、加藤四郎は現在、実際の艦に乗っての勉強が
どんなものかを味わいはじめていたところだった。
戦時中に即戦力として叩き込まれた下級生時代。平和になって軍縮・解体まで
叫ばれ厄介者扱いされかねなかったのを“基本に返れ”と、戦時中には学べな
かった基本的事項を学びなおしつつ、兄貴たちが取り戻してくれた蒼い空を
嬉々として飛んだ最上級の頃。
 そうしてまた、あの戦いからわずかな日数しか経たず、火星で。出会い、また
別れての今。……俺はまだヒヨっこだけど。今、何かが来たら迎え撃てる自分と
資材、機材と戦闘機てあしがあり、そして宇宙の真っ只中に秘されている…。

 暗い、宇宙そら−−。
 逢えない恋人(……片思いだけど)。
 未来さきの見えない、現在いま
 まだ操縦かんを握れば腹の底から湧いてきて、体の中を駆け巡るような熱い
想い。忘れられない−−。

 とてとてとヤマトの居住エリアの方(澪やスタッフの人々が住んでいる)へ
無意識に歩いてきた加藤四郎は、「きゃぁ〜」という幼児の声と、「わぁぁっ!」
というあられもない男の叫び声を聞いた。
 咄嗟に身体がそちらへ動き、駆け出す。
 何事だっ!?

flower line

 飛び込んだ部屋の戸口の向こう。床に座って意気揚々としている澪と、呆然と
したまま立ちすくんでいる真田教官。さらには、初めて逢う人だけどわりと若そ
うな技官……だろうたぶん、真田さんと同じ色の服を着ていた−−がしかめ面を
していた。
(な、なんだこりゃぁ?)
それもそのはず、床に広げられた模造紙のようなものにはクレヨンでいっぱいに
落書きがしてあり、その脇には千切れた残骸。さらには、その模造紙からはみ
出た赤や黄色や緑や……の落書き(にしか見えなかったが)らしきものが、床半
分を埋めて、さらに窓にまで壁を這い登っていたからだ。
 「ねぇねぇ、しろ兄ちゃん!」
澪が起き上がって、飛んできて服を引っ張った。
「すごいでしょう! お花畑なのっ!!」
四郎も呆れて言葉を失っていたが、咄嗟に状況は把握したのであった。
……澪は、“お絵かき”したんだな。白い紙に描いているうちに……
「お義父さまやとおるちゃんが呉れたのは狭いの。 お部屋中がお花いっぱいに
なる方がいいでしょう?
 やれやれ。
 こりゃ、頭痛いや。

 四郎はぽん、とその黄金色の髪に手をやると、「お義父さまに“ごめんなさい”
した? 」と問うてみた。途端に、澪の頬がぷぅ、と膨れた。
「なぜ? なぜ謝るの? 澪はとてもよいことをしたのでしょう?」
−−今日の(彼女の)データによれば、澪は現在「5歳程度」なのだそうだ。
外見はその通りだし、すると小学校1年生くらい、ということになるが…。だけど
これじゃ幼児だよ(とほほ)。
 「情緒面の発達が、知能と頭の回転に比べて少しアンバランスでな…」
気を取り直した、というフゼイの真田の声が横からした。
「……絵画教室でもしようか、と思ったら、これだ」
ぷ、と思わず四郎は(悪いと思ったのだが)噴き出してしまった。
 「技師長。……情緒の前にまず、“常識”です。社会常識も教えていただかな
いと」 少し怒った、という雰囲気で、先ほど“とーるちゃん”と呼ばれた若者が言う。
向坂さきさか、そう怒るな」「……はぁ。だいたい技師長も“世間常識”ということになると
大して期待できゃしませんけどね」。くすりと四郎はおかしくなった。
 彼は気を取り直すと、「加藤四郎くんですね、戦闘機隊員候補の−−向坂、通
といいます。ずっと真田さんの部下をやってます、、ヤマト以前からね」
また可笑しくなったが、四郎は急に気持ちを引き締めると、姿勢を正して辞儀を
した。……それではこの人も、ヤマトに乗って、兄さんと旅をした一人なのだ。
「……加藤に聞いていた通りだね。期待している、これからもよろしくね」
柔らかい印象の人だった。ずっと、真田さんの助手なんぞやっていればそうなら
ざるを得ないのかもしれなかったが。

 「加藤…」ぶす、とした声が聞こえた。
「悪いが、溝田たちを呼んで、ここ掃除してくれるか。澪にも手伝わせるが、その
前に何故、こういうことをしたらいけないか、わかってもらわないといけない」
真田が澪を抱き上げて、澪は素直にそれに従った。まだ不服従という顔つきのま
まだったが。
 「澪、あっちへ行こう。後片付けはとにかく彼らがやってくれるからね。少し、お
話しような」
断固とした態度を示さなければならない、と思いつつも怒ってはいないのだから
難しい。そんな様子。
 「技師長」「なんだ」「……少し、残しときますか? 掃除」
真田がふん、という顔をした。「あぁ、頼む」
了解、という風に親指を立ててみせて…あぁそれってもしかして、と四郎は思う。
ヤマトの人たちの共通の、クセ? ふっと懐かしい火星の面影がよみがえった。

 結局、溝田と坂井と高居。5人でやれば、落ちにくいクレヨンでも僅かな時間だ。
最後に彼らが絵を描いていた床廻りだけ残しておく。
「教育的配慮、ってやつっすかね」「じゃ、俺らはこれで」3人が気を効かせて去っ
いった後、四郎はふと、描き散らかされた模造紙の絵を見た。
 向坂が絞った雑巾の水を捨てて戻って来、それをひらりと後ろから取り上げ、
かざす。
「いい、絵だろ」
こくりと頷く四郎。

 そこには、柔らかいタッチと色調で澪と、自分。そして数人の仲間たちが描かれ
ていたのだ。
「この絵、もしかして……真田さんが?」こくりと向坂が頷く。
 いったいいつ、こんな風景を見ていたのだろう。
真田の柔らかな視線を感じて、四郎は驚いた。
澪の笑顔……そして、その回りに、思い切り稚拙だが、カラフルに飾られた花花。
 普通なら、絵を汚した、と言って怒るだろうか。いや、澪は本当に、この絵に花を
添えたかったに違いない。
「この絵、いただいていいですか…」四郎はそう言って向坂を見上げた。
「さあね。描いた当人たちに聞いてごらんよ。きっと、いやだとは言わないと思う
けど?」向坂は笑った。

 「しろ兄ちゃん、ごめんなさい…」
そこへ真田が澪の手を引いて現れた。
「澪、お掃除するわ」手に雑巾を持っている。
四郎は少しだけ残しておいた、絵の周りの一角を指した。頭に手を置いて、愛し
そうに撫でる。
「この絵、お兄ちゃんに貰えないかな?」きょと、と見上げる澪である。「お義父さ
んとの共作で力作だから申し訳ないけど」と言うと、ぱぁと澪は嬉しそうに笑った。
「いいわ。とても良く出来たから、あげる」
そう言うと元気に床に貼り付き、掃除を始める。
「おい加藤−−それは…」真田は言おうとして、やめた。
またいくらでも描きなおしてやるのに。そんな中途半端な絵を持っていくなよ、
とか。言いたいことはいくらでもあっただろうが、飲み込んで。言ったのは
「ご苦労さんだったな」
だけだった。あとは俺たちがやるから、戻って休め。
 ありがとうな。
其処を出ようとした背中を、真田の言葉が追いかけた。

 四郎はその落書きのような絵を持ってG区を出、居住区へ戻る。
 彼が優しい夢を見たのかどうかは、誰も知らない。

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