:三日月小箱「少し甘い二十之御題」より No.3
「ちゃぁちゃん。あれ、なに?」
「ねぇねぇ。きれいね、なぁぜあんなところに、いつもあるの?」
腕の中で、温かいものがそう言って訊ねる。
何度も、何度も。
その指先の示すもの。その先にはいつも、広大な広がりをみせる宇宙がある。
その重みと柔らかさ、ふわりとした温度を大切に抱きながら、俺は星を眺めて過ごした。
「ちゃぁちゃん……」
その言葉が変化し、もう腕に抱えられなくなるのに時間はかからなかったとしても。
「お義父さま――」
「ヤマト? 此処は、ヤマトなの? お父様は、お母様は、どこ?」
赤ん坊は、その手にすべてをつかんで生まれてくるという。
その手を最初に開いた時に、手のひらから逃げていったものを、 一生をかけて得ていこうとするのが人生なのだと、何かの本で読んだことがあった。
イカルスでの短く、慌しく、必死で――そうして、幸せだった日々を、真田は思い返す。
ある日、予測されたある日が、突然やってきても。驚かなかった。
だが。
その指先の示す先には、広大に拡がる宇宙があり、その遥か彼方には――。
「そうだ。イスカンダルという惑星があったんだ。 その惑星は地球を救ってくれた――お前の母さんと父さんがな。 俺たちは生かされて、此処にいる……お前はその血を引いた、唯一の娘なんだよ」
まだ物心つかない耳に、繰り返し言い聞かせた。
血の通わぬ腕に抱いて、だがその温かさと重みは、忘れることはない。
「お義父さまっ、叔父様っ――ススム、早くっ!!」
艦橋に声が響き、それに地球の命運がかかっていたあの瞬間、叫ばずにはいられなかったのだ。 古代――俺が、自分が。娘だから。あの娘はわかっているのだから、俺が、 その手にかける罪を引き受けようと。
幼い命が生まれ、星の運命がその手に――幾人かの手に委ねられた時。
その指の示す先には、多くの命が掲げられている。
「叔父様――おとうさま。私、ススムが好きだわ……」
「そうか――古代はいいやつだよ」
そう答えるしかできなかった。儚く散った命―― 一家して、なんという運命を辿るのやら。
残された者たちは、どうすればいいんだろうな。
昔、イスカンダルのあった闇の彼方を眺め、航行する艦。 なにげなく向けていた視線の先に彼がいて、振り返り、明るい目を向けてきた。
「どうしました? 真田さん。もうじき、ワープですよ」
そうだ。
こいつはあの娘と血がつながっていたのだな、といまさらながらに思い返した。 苦笑すると、はてなというような顔をして、首をかしげてみせた。
「ヘンだな。俺の顔に何かついていますか」いや、と答えた。
「艦長――前方に発信源。確認しますか」
「――なに!? 障害物か?」「確認中です」
航路は遠く、宇宙は果てしなく、広い。
この男の目は、常に、前を見据えている。
迷いながらも――前へ、進もうとしているのだ。友の屍を踏み越え、重いものを背負い続けても、 それを下ろそうとはしない。
年若い盟友に、全幅の信頼を置かせるほどに、ヤツの背は大きくなったと思った。
あの娘が示していた宇宙。すべての可能性を持っていた若い命が消えたあと、 それはもしかしたら彼の中にも受け継がれて、未来へ結ばれていくのだろうか。
「航路、30度上角へ転身! 速度、プラス0.8宇宙ノット。高速の90%で3宇宙キロ前身 ――ワープ計測再計算を急げ!」
声が響き、そしてその瞳は新しい宇宙時代の夜明けを見つめているのだろう。
その指の示す先に――何があるのかはわからない。
戦いのない世界なら幸せだろうが……それもわからないな。何があってもおかしくないのが、 この宇宙だ。だが、と真田は思う。
(この男――古代進の示す先を)見てみたい。
――それは遥か以前に。この男の兄と出逢った時に、約束したことでもあった。
「この岬の向こう側へ、行ってみようぜ。その時の艦は、お前が指揮して作れよ」
守に夢、託して、俺は共に行こうと思った。
そうして時を経て――その娘の夢を、希望を、共に歩んで……。
いままたその弟と共にある。
彼とは、この命果てるまで。おそらくは共にあるのだろう。
たとえ居る場所が別れても――遠く離れようとも。
「真田さん。……もうじき、銀河系中央域への、最初のジャンプです」
「あぁ――見えるかな」「どうでしょうね」
惑星連邦間で、初めて締結されようとしている宇宙盟約のための旅。これがその第一歩だ。 新しい宇宙時代が始まろうとしていた。
西暦2208年秋――古代進はその船団の艦隊司令として。真田志郎は全権委任の船団長として。 銀河系中央域へ向かっている。
【Fin】
――01 Feb, 2011