【06.流れ込む感情】
:三日月小箱「少し甘い二十之御題」より No.6
「島――これを聞いてくれ」
古代と俺だけを残して皆が去った艦橋に、途切れ途切れの音声が流れた。
『……しま、さん。逢いたい、しまさん。もう一度、……しま、さん』
これは。
あの女性か。
あの人の、真実の、声――心か。
流れこむ感情――それを抑えて別れてきたひとの、声だったのか。
「島……」
古代の温度が近づく。肩に手の重みが乗り、あいつはその時、いろいろな想いを語りかけてくれたが、 俺はその言葉よりも、その心を感じ取っていた。
「テレサ――」
それでも逡巡する気持ちは何だったか――今ならわかる。
俺は、自分を解放することが、怖かったのだ。自分の激情を、抑えてきた…いや長い間かけて作り上げてきた“島大介”という性質の奥にあった、 自分も知らなかった感情と本質を、俺は知りたくなかったのかもしれない。
「艦長代理の命令だ――」
古代のあの言葉がなかったなら、俺は踏ん切れなかったに違いない。
ヤマト発進までx時間――暁の、この惑星の暁が迫り、時間は刻一刻となくなっていった。
ほっそりした華奢な体と黄金の髪が腕の中に飛び込んできた時、 俺はもうこの女性を離すことはできない、と感じていた。
流れ込む感情――それは、彼女のものなのか俺自身のものなのか、区別することは不可能だった。
彼女は俺であり、俺は、彼女である。
だが、自分の中に、かすかに残るのは――任務への使命感。 ヤマトの航海士である、という自分自身の矜持だったのかもしれない。それは足枷ではなく、 生きる、俺のすべてだったのだから。
そうして俺の中に残ったのは、その残像である――。
残像だけ、だった。
確かなものには、カタチがない。
真実にも、実像はなかった。
時折俺は、思い返すのだ――あの、めくるめくような時間は、何だったのだろうか、と。
真実の想い――確かな手ごたえに嘘はない。自身の感情も、疑ったことはない。
俺は、彼女を愛し、彼女は――ただひたすら孤独だった彼女は、俺を求めていた。
テレザートからヤマトへ向かった僅かな時間だけが、俺たちの蜜月だったかもしれない。 俺は未来に夢を託し、彼女は強い決意と愛に揺れながら道を模索する。
ヤマトが、古代が待っている―― 一刻も早く戻らなければならない事態はわかっていたのに、 彼女が道を急がなかったのも、俺も逸る心を抑えながらもこのひとを連れ出すことに躊躇し、 手を取って乗り込ませた温もりを手放せなかったのも、なにごとかの予感があったといえば、 それは穿ちすぎかもしれなかったが――。
この幸福な時間が長くないことを、少なくとも現在の位相と、 現実では短いことを、どちらも感じていたのではなかっただろうか?
俺は、夢中だった――。
格納庫に降り立った時の誇らしさは、わかってもらえるだろうか?
あの時のテレサの微笑みを、あの場にいた誰もが忘れられないと言う――。
もともと女神のような美しさの彼女だが――あれは、本当に美しかったのだと、格納庫に居た誰かが言っていた。 島さん、愛された女って美しいんだなって、思いましたよと。
愛に後悔など、あるだろうか? ――すくなくとも俺の愛した女は、価値ある女だった。
彼女と過ごした時が、あまりに短かったとしても――今の自分が、ただ生かされている存在だったとしても。
時折、星の宇宙を航行していると、どきりと沸いてくる感情がある。 気の所為ではない。どくどくと血管の中から沸いてくるものがあって、息が苦しくなる時があるのだ――彼女なのかな、 と思う。それは錯覚かもしれないけど、ね。
星の光がキレイだと想ったとき――未知の空間を飛ぶときだ。
最近、ちょっとした趣味を始めたんだ。
宇宙の写真を撮るんだよ――俺の艦の操縦席からは眺めが良くて、モニタ越しだけでない宇宙が見える。 特殊感光の、そうだなおそらく20世紀あたりの技術を使ったカメラを使えば撮れるんだ――と詳しいヤツに教えて貰った。 懐古趣味だと笑うかい?
その中に君の姿が見えるような気がすることがある。
そんな時は、名前を呼んで見ることもあるんだ――“テレサ”、とね。
長いことではない。
また逢えるのだから――うん。時間の感覚など、そちらとこちらでは随分違うだろうからな。
あの時、流れ込んだ真実の感情を知らなかったら。
俺はあのまま別れていただろうか――そうして後悔したかもしれなかった。
星の海は、すべてを腕の中に抱いて、今日も静かだ。
【Fin】
――06 Feb, 2011